庭の木々が、順番待ちのように日々葉を落としている。
「木の葉)(このは)」は、冬の植物の季語。傍題に、「木の葉散る」「木の葉雨」「木の葉時雨」などがある。
散りゆく木の葉、散り敷いた木の葉、また落ちようとして木に残っている葉を含めていう。木の葉雨、木の葉時雨は、木の葉が雨のように降るさまをたとえた伝統的な表現。
『俳句歳時記・冬』より。
季語「木の葉」の解説を読み、ピントのエヒード公園で俳句を詠んだことを思い出した。
木に残っていたまだ「落葉」ではない葉が、「落葉」となる瞬間に立ち会ったときのことだ。
そのときの気持ちに寄り添うような季語「木の葉」の存在を知り、うれしくなった。
人待つや木葉かた寄る風の道 素堂
「風の道」が素敵。そして、うなずける。風景が、ありありと目に浮かんできた。
水底の岩に落ちつく木の葉かな 丈草
木の葉、落ちつくところを探していたのか。こういうのも、擬人法というのだろうか。どこかホッとする句。
木の葉一枚水引つぱつて流れをり 和田順子
「水引っぱって」に、なるほどとため息をついた。流れる木の葉の一枚が、たしかに水を引っぱっているように見える。
木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ 加藤楸邨
加藤楸邨は、自己の内面に向き合った句を多く詠んだ俳人だそうだ。病で思うように動けない自分へのもどかしさなどがあったのだろうといわれている。
木に一枚だけ残っている木の葉、数枚残って風に吹かれている木の葉、風に吹き飛ばされ落ちる瞬間の木の葉、風もないのに静かに落ちていく木の葉、地面に落ちたばかりの木の葉、それを迎えるきのう落葉となった木の葉。どの木の葉も、句に詠まれるのを待っているようだ。

辛夷の枝です。木の葉が、ほんの数枚残っています。猫柳のような芽も膨らんでいます。

これは、春に咲いて秋に赤い実をつけたあと。辛夷って不思議な実のつけ方をしますね。

3年ほど前に植えた若木の辛夷は、まだたくさん「木の葉」をつけているものもあります。

地面に落ちたものも「木の葉」であり「落葉」です。

沙羅は、花のあとをいっぱい残しています。

道路際の栗の木。ほとんど葉を落としました。向こうに見えるのは、鳳凰三山。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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