真冬にくっきりと見えていた山々が、気温が少しずつ上がるとともに霞んできた。
「霞(かすみ)」は、三春の天文の季語。
春は大気中の水分が増えることによって、空の色・野面・山谷など遠くのものが霞んで見えることがある。横に筋を引いたように棚引く霞を棚霞という。「草霞む」「山霞む」、また鐘の音に「鐘霞む」などとも用いられる。(中略)霞は遠くかすかで、ほのかな優しい感じのするものである。
『俳句歳時記・春』より。
山寺や撞そこなひの鐘霞む 蕪村
春霞のなか、山寺から撞(つ)きそこなった鐘の音が響いてきた。長閑だ。
春霞国のへだてはなかりけり 幸田露伴
春霞で国の輪郭さえもぼんやりとしている。国境など、人間が作ったものだと知る。
棚霞キリンの頸も骨七つ 星野恒彦
知らなかったが、哺乳類の頸骨はみな7つなのだそうだ。あんなに首の長いキリンでさえ同じなのか。棚引く霞のなかから首を出したキリンが見えたような気がした。
また昼の「霞」に対し、夜は同じように霞んだ状態を「朧(おぼろ)」と呼ぶ。やはり三春の天文の季語だ。
風呂の戸にせまりて谷の朧かな 原石鼎
実態のないような朧だが、迫ってくる緊迫感が「風呂の戸に」に表れている。まるで戸を開けたら入ってきそうだ。
朧夜のぽこんと鳴りし流し台 金子敦
流し台に熱い湯を捨てると、ステンレスがけっこう大きな音を立てることがある。ぽこんと、ちょっと間の抜けた音だ。予期せぬ音を立ててしまうと、静けさが余計に際立つ。朧夜なら、なおさらか。
月朧わたくしといふかたちかな 大川ゆかり
かたちあるものすべての輪郭をぼやけさせてしまう朧。しかし私という形は、ここにしっかりある。揺るぎない意志の強さを、平仮名の「わたくしといふかたちかな」に感じた。
いくつかの句を読み、「霞」には、春のやわらかな長閑さが、「朧」には、春の夜の幻想的なうら淋しさが多く詠まれているように思えた。
これからは、山々がくっきり見える日は少ない。春の霞んだ八ヶ岳や南アルプスも、見つめていればきっと、何かが見えてくるだろう。

いつもの定点観測地点から。南アルプス連峰、霞んでいました。

甲斐駒ヶ岳も。

鳳凰三山も。

みんな、霞んでいます。

八ヶ岳も、優しい顔つきになってきました。

ゴミ出しロードの帰り道。

山々は、稜線をうっすら浮かび上がらせ、まるで東山魁夷の絵のようでした。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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