ドイツ2日目は、ベルリンで朝を迎えた。
夫は学生時代、また仕事でと、2度ベルリンを訪れていて、ベルリンの壁にまつわる話を何度も聞いていたので、それを見てみたいと思っていた。
最初に「ブランデンブルグ門」へ。そこから「チェックポイント・チャーリー」へ向かう。
ドイツが東西分裂を強いられれていた時代、英、米、仏の西側諸国外国人などや西ドイツ外交官などのための国境検問所だった場所だ。
当時の検問所を再現した建物が道路の真ん中にあり、多くの観光客の撮影スポットとなっていた。
博物館「チェックポイント・チャーリー・ハウス」は、すぐ横の細いビルにあり、ドイツの東西分裂の歴史が展示されていた。思っていたよりもずっと展示スペースは広く、資料は膨大で、1時間半ほどかけてじっくり見て回った。
歩きながら、憤りが胸のなかに渦巻いていた。
国を、街を、これまでごく普通に暮らしていた人たちを、真っ二つに割り、壁を作って行き来を禁じ、家族ですら会うこともできなくする。
壁を乗り越えようとして、殺された人も百人を越えたという。
そんなこと、人として許されることじゃない。
誰が考えてもわかりそうなことなのに、正当化されていた歴史。
今も戦争がやまないこの世界で、目を背けてはならないものだと思い、しっかりと目に焼きつけた。
そこから「イーストサイド・ギャラリー」へ。
現存する壁に、世界中のアーティストが平和へのメッセージを表現している青空ギャラリーだ。
ベルリンの壁は、飛び上がっても登れそうにない、けれど何段かの踏み台があれば登れそうなくらいの高さで長く長く続いていた。

ブランデンブルグ門。東西分裂時代、門は閉鎖されていたそうです。たくさんの観光客が訪れていました。

チェックポイント・チャーリー。

反対から見て。アメリカ兵とソ連兵が表裏一体になっている看板が立っています。右の建物が「チェックポイント・チャーリー・ハウス」です。

イーストサイド・ギャラリー。1,300mに渡り続いているそうです。高さは3.6mほどだとか。高いところでは4m以上あったといいます。

様々なアートが描かれていました。

見て歩く人も、大勢いました。

壁が途切れている場所。端まで歩いて、電車に乗りました。
わが家にベルリンの壁の一部があります。
夫が3度ほど行ったドイツでこっそりいただいてきたものらしいです。
でも私が見るとコンクリートの破片です。
フランクフルトに長く住んでいた従妹がいて、この壁崩壊の頃すでにドイツにいました。
東京にいますが今度ゆっくり話を聞きたいな~。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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