山梨市の「根津記念館」で、甲州弁のむかしがたりを聴いた。
手話教室の友人が活動している「甲州弁むかしがたりの会」は、生粋の甲州人がネイティブの甲州弁でむかしがたりを聴かせてくれると聞き、楽しみにしていたのだ。
7つの語りはすべて甲州弁だったが、山梨の伝記や昔話が3つで、あとは福島やら愛媛やらほかの地域の昔話だった。
「こぶ取り爺」のような誰もが知っている昔話も、しかし愛媛に伝わるものだったとは知らなかった。興味深げにプログラムを見ていると、やわらかな甲州弁が聴こえてきた。
そろそろ始めましょう、というような言葉のあとに、
「ようごいすか?」
との問いかけ。
何度も聴きに来られた方々なのか、客席からこれも甲州弁の返事が響いた。
「ようごいすよ」
そんなふうにして語りが始まった。
実際にあった話と伝えられてきた「焼山峠の子授け地蔵」では、お地蔵さまを大切にした夫婦がぼこ(子ども)を授かったという語りで、山梨市牧丘町には今もたくさんのお地蔵さまがいらっしゃるという。
福島の昔話「大歳の火」では絶やさぬよう気をつけていた火を消してしまったお嫁さんのあわてぶりと生真面目さを、愛媛の「こぶ取り爺」はおなじみの昔話を歌を交えてリズミカルに、愛知の「惚れ薬」はよぼよぼのお婆にうっかり惚れ薬をかけてしまった男の悲哀をおもしろおかしく語っていた。
語りのおしまいには、
「いっちんさけえぼんのくぼ」
で終わるのがお決まりだそうだ。その響きがまたほっこりとやわらかい。
甲州弁はテレビのバラエティ番組などではあまり評判がよくないけれど、実際に語りを聴くとやさしくあたたかな響きが耳に残り、その口調や間合いも絶妙で機知に富んでいて、いっぱい笑って気持ちよく明るい気持ちになった。とてもいい時間だっだ。
鉄道王と呼ばれた実業家根津喜一郎のお屋敷を復元した「根津記念館」には、四季折々の珍しい数多くの野草を自然のままに咲かせているという開放感あふれる庭園が広がっていて、金木犀が甘い香りを漂わせていた。
根津記念館、入口です。
お堀のようになっていて、鴨と鯉が仲良く泳いでいました。
ミュージアムショップには、四季折々に咲く花の写真が展示してありました。
「甲州弁むかしがたりの会」は、青山壮和室で開催されました。
こんばんは。
焼山峠、懐かしいです。中学の時、強歩大会ではここを越えなくてはならず……他の中学は女子は男子より短い距離だったのに、ウチの中学は同じ距離でした。今もそうなのかな?
甲州弁、久しく使っていないです。
台風、豪雨被害は大丈夫でしょうか?
どうぞお気をつけ下さい。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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