もう1年になるのかと思う気持ちと、もっと時が経っているような気持ちとを混在しているのは、ずっと離れた土地で暮らしていたからだろうか。
義父が亡くなって、1年になる。
一周忌は帰省はしたが、暑いさなかなので90歳の義母には外出は難しく、夫とふたりでお墓参りをし、けれど思いがけず従弟が子供たちを連れて来てくれて、少しにぎやかに義父を悼むことができた。
義父の葬儀で思い出すのは、祭壇に大きく咲いたいくつもの向日葵の花だ。
義母が好きな向日葵の花を、たぶん義父も好んだだろうと、夫と選びできるだけたくさん入れてもらった。
その向日葵がとても綺麗だと、義母はやわらかに目を細めていた。
遺影の義父も、向日葵に囲まれ、ちょっと照れたような、けれどまんざらでもないような顔をしていた。
夏のこの季節だったからこそ、向日葵の花と一緒に見送ることができたのだった。
毎夏、向日葵を見て、こんなふうに思い出すのかもしれない。
歳を重ねると、こうして花を見て思い出すことも、思う人も、増えていくものなのかもしれない。
明野の向日葵畑です。7月には、サンフィニティといういくつも花をつける品種が咲いていました。
南アルプス連峰が綺麗に見える日を選んで、撮影に行きました。
夏山は、あまり輪郭をあらわにしないのですが、今年はくっきり見える日が多いように思います。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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