毎年この時期に、震災にまつわる小説を読んできた。
それは、阪神淡路大震災、東日本大震災に様々な作家たちが心を砕き、描いた世界だった。
今年は、芥川賞を受賞したばかりの『荒地の家族』。
夫が買い先に読んでいたこの本は、ずっとリビングに置いてあったにもかかわらず、なかなか手に取ることができずにいた。楽しい読書ではないことは、わかっていたからだ。
きっかけはNHK『クローズアップ現代』の「東日本大震災から12年 芥川賞作家・佐藤厚志さんと防潮堤の町を行く」を観たことによる。
そのなかで、たびたび手記「防潮堤を辿る旅を終えて」が紹介されていた。
東日本大震災の経験は置かれた場所で一人ひとり全く違う。わかっていたつもりだったが、改めて地域、家族、個人によってまるで事情が違っていた。どれだけその感情を掬おうとしても、指の間からこぼれてしまう気がした。
手記のラストに置かれたこの言葉に、ページを開いたのであった。
40歳の坂井祐治は、ひとりで切り盛りする植木屋だ。住まいは宮城県の海辺の町、亘理町。独立して立ち上げたばかりのときに、店も道具もすべて津波で流された。
東日本大震災から10年後の祐治と、その家族、友人、周辺の人物を淡々と描いた心象スケッチのような小説である。
妻、晴海は、震災の2年後に心労もありインフルエンザで高熱に苦しみ亡くなった。
そのとき3歳だった息子、啓太はもうすぐ中学生。現在、祐治の母、和子と3世代の3人で暮らしている。
晴海が亡くなって6年後、祐治は結婚したが、うまくいかなかった。子が流れた数ヶ月後に、知加子は何も言わず出て行った。仙台に行く度に祐治は職場を訪ねるのだが、門前払いされ続けている。
祐治は、自分の身体を痛めつけるかのように植木職人としての仕事に没頭する。そうしていなくては、心の方がどうにかなってしまいそうだった。
海は必ずまた膨張する。百年後か。千年後か。明日か。
海が好きだったことなど一度もないという祐治は、しかし何度もひとり海辺を歩く。心の隙間に、打ち寄せるように海が入ってきてしまう。
滑らかな白いコンクリートがどこまでも続く。道路ができ、防潮堤が聳え、土地は整備された。日がな一日風が吹きすさび、ひとつとして特徴を見出せない浜を見渡すと、ここがどこだかわからなくなる。実際に、どこでもなかった。
生まれ育った故郷とは違う顔の浜を見て、祐治は思う。
ここがここであるという証拠を剥ぎ取られた、ただの海辺だった。
東日本大震災で津波の被害に遭った町で生きる、あるひとつの家族の物語。実話だと言われれば信じてしまいそうなほどにリアルな小説だった。
東日本大震災の3年後の春、仙台を旅した。
語り部タクシーで、津波の被害に遭った浜へも行った。
流されたお寺の跡地に、人々が見つけて運び込んだお地蔵さんが並んでいた。
亡くなった両親や兄弟のお骨をひとりで持ってきた小学生の話に、耳を傾けた。
そのときには、まだ防潮堤はできていなかった。
限界まで巨大に設計された防潮堤は、ついこの間経験したばかりの恐怖の具現そのものだった。海からやってくるものの強大さをいわば常時示すように防潮堤は海と陸をどこまでも断絶して走っていた。
仙台を旅してから、9年。
忘れてしまっていたことを、小説のそこここに見つけた。
第168回芥川賞受賞作です。
カバーを外すと、防潮堤の写真がありました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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