2019年に5年ぶりに読んだ『クリスマスの思い出』をふたたび開いた。6年ぶり、3度目になる。
トルーマン・カポーティの短編を村上春樹が訳し、山本容子のカラーの銅版画が20もついている、とても贅沢な洒落た装丁の薄い小さめの本である。
語りは、7歳だった〈僕〉。彼は、何らかの事情で親戚の家で暮らしている。いつも一緒にいるのは、60歳を過ぎた”親友”である遠いいとこの女性。親友は〈僕〉を名前ではなく”バディー”と呼んだ。物語は、冬を告げる朝に始まる。
十一月も終わりに近い朝を思い浮かべてほしい。今から、二十年以上昔の、冬の到来を告げる朝のことだ。広々とした古い田舎家の、台所のことを考えてみてほしい。黒々とした料理用ストーブがまず目につく。大きな丸いテーブルと暖炉の姿も見える。暖炉の前には、揺り椅子がふたつ並んでいる。暖炉はまさに今日から、この季節お馴染みの轟音を勢いよく轟かせ始めたばかりだ。
冒頭〈僕〉は、20年以上前と語っている。大人になった彼の一人称で、物語は進められていく。
お金のないふたりは、クリスマスを楽しむために一年かけ、工夫し苦心してお金をかき集める。懸賞に応募したり、見世物小屋を開いたり、嫌な仕事を引き受けたり。それは「フルーツケーキ貯金」だった。
大好きな人へ、毎年クリスマスに手作りのフルーツケーキを届けるために、ふたりは心を一つにして一年を過ごしていた。
そして、待ちに待ったフルーツケーキ作りの日がやって来る。それが、冬を告げる朝だ。材料を買いそろえるのは楽しい仕事だが、ウィスキーだけは別。インディアンだったという噂の”罪深いカフェ”を営むハハ・ジョーンズさんの店へ買いに行かなくてはならない。
足音が聞こえる。ドアが開く。僕らの心臓はでんぐりかえってしまう。出てきたのは、こともあろうにハハ・ジョーンズさん本人なのだ! 本当に体が大きい。傷痕だってちゃんとある。そしてたしかににこりともしない。そう、彼は悪魔みたいなつりあがった目で僕らをじろりと睨みつける。「ハハに何の用だね?」
ツリーにする樅の木を切りに行くのも、もっともわくわくする仕事の一つだ。素敵な樅の木を見つけられる森を、親友は知っていた。ふたりで切り倒して運ぶのは重労働だったが、町じゅうの人が羨望の眼差しを向ける。金を払うという人もいた。
「そのしょぼい木に二十五セント払ってあげるよ」。普段はものを断ることができない我が友であるが、今日ばかりはきっぱりと首を振る。「一ドルもらっても嫌ですよ」
なんだろう。この物語の、訳もなく泣きたくなるような切なさは。ページからこぼれ落ちてくる優しさは。
細やかに描写された行動や風景の奥行きに、ふたりの体温が感じられる。
カポーティが、この物語を世に出したのは、1956年。およそ70年前。物語は、そこからさらに20年以上さかのぼる。料理用ストーブで、フルーツケーキを焼いた時代だ。
100年近くが経った今年もまた、クリスマスの季節がやってきた。

「イノセント・ストーリー」とは、純粋な、あるいは無垢な物語のことだそうです。訳者の村上春樹はあとがきでこう表現しています。「この物語のいちばんの特徴は悪意というものの不在だろう」

山本容子の銅版画の挿絵です。60歳を過ぎた親友と、バディー(僕)と、ラット・テリアのクイーニー。

11月の紅葉した庭。フルーツケーキの材料を採りに出かけます。

ベッドに下にクリスマス資金を隠しているところ。パッチワークのキルティングの上で、ふたりはお金を数えます。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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