『喜七郎ふるさとは今もお前を待っている』は、実話をもとにして作られた芝居である。演ずるのは、富士川町さくら劇団。アマチュア劇団だ。
わたしが通うエッセイサークル「花みずきの会」は、甲府に3グループと甲斐市に1グループあり、所属しているのは甲斐市のグループだが、教えてくださるのはどのグループも同じ、水木亮先生だ。水木先生は長年劇団を主宰していて、甲府グループの丸茂さんがかいたエッセイをもとに、この芝居を作られたそうだ。
主人公、宮本繁夫は、死期を悟った父親の遺言を聞く。
「戦死した神田喜七郎くんの故郷ますほ町を訪ね、彼が自分を助けてくれたこと、彼との日々、そして彼の最期を遺族に伝えてほしい」
父親は、自分だけが生き残ったことに後ろめたさを感じ、訪ねることができなかったのだという。父親の死後、だが宮本が訪ねた土地には家はなく、桃畑が広がっていた。宮本は墓を参ることしかできず、放心していると、小学生の女の子セロリに声をかけられる。
セロリの知り合いのスナック「おむかえ」のドアを、導かれるように開けると、そこはその土地に暮らすひと癖もふた癖もある人達のたまり場だった。
そこで宮本は、神田喜七郎に妹がいたことを知る。すでに亡くなっている妹の、しかしその娘の娘がセロリだったのだ。
宮本の父は、砲弾を浴び自暴自棄に陥り自害しようとした。それを止めたのが喜七郎だった。だがその後、父の隣りで砲弾を浴び、喜七郎は即死した。
そんなことが、自分の隣りで普通に起こっていく戦争という日常。
二度と繰り返してはいけないというメッセージを、強く感じる芝居だった。
芯となる強いメッセージを持つ芝居だが、観終わったあと胸に残ったのは笑いだった。スナック「おむかえ」でのやりとりは、どんな日常にも笑いがあることを物語っていた。戦争のまっただなかにいる人にも、生活があり日常がある。小さなことに笑い、幸せを感じることもある。人間が持つ底力みたいなものが、すべてをあきらめることをさせないのだろう。そういう小さな小さなたくさんの幸せを、巨大な暴力で壊すなんて、許していいはずがない。
富士川町さくら劇団は、演劇ワークショップに参加した町民有志が立ち上げた町民劇団だそうです。年齢は50代から70代だとか。主役の宮本役はエッセイをかいた丸茂さん本人が、父親役は丸茂さんのご親友が演じていました。セロリ役は、小学校4年生の望月歌恋ちゃん。名前に「歌」の字がつくだけあって、透き通った美しい歌声を聴かせてくれました。
舞台リハーサルの様子が、展示されていました。
朝日新聞にとり上げられた記事です。水木先生脚本・演出の『峠の少女』は、終戦記念日に上演されました。そこで大きなテーマとなった巫女舞いが『喜七郎 ふるさとは今もお前を待っている』のラストを飾りました。
お芝居良かったですね。
水木先生の脚本の舞台は、いつも実在の人物がテーマになっています。それだけに、迫って来るものが違いますね。いつも考えさせられてしまいます。
エッセイ、追われている感じ、まだまだです。優先順位も高くないので、なかなか仕上がりません。
さえさんのエッセイは、いつも楽しみです。
心穏やかになっています。
悠里さん
お芝居、よかったですね~
たしかに実在の人物が描かれていると、迫ってくるもの、違いますね。リアルですよね。
わたしもいろいろ考えさせられました。
悠里さんのエッセイ、わたしも楽しみにしています。
人生経験が豊富なのでしょう。いつも興味深い人物が出てくるので、楽しみです♩
がんばってくださいね~
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。