向田邦子のラストエッセイ。
突然の死の後も読者を魅了してやまぬ著者最後のエッセイ集。
表題作「夜中の薔薇」は、ゲーテの詩にシューベルトが曲をつけた「野ばら」の「童は見たり野なかの薔薇」というフレーズを、ずっと「夜中の薔薇」だと思っていたという知り合いの話に、「夜中の薔薇」という言葉が著者のなかでひとり歩きしていく話だ。
薔薇に限らず、夜中に花びらが散ると音がする。音というより気配といったほうが正しいかも知れない。
そして電話のベルでも散ると、押しつけ人生相談をしてきた見知らぬ女性からの電話に悩まされた夜の話へ進む。
さらに「薔薇」は、子供が見てはならぬものとしても意味を持ち始め、女学校時代に女教師の家に泊まった際に、夜中に男が訪ねてきたときのドキドキを思い出す。
ラスト、夜中に帰宅したとき、玄関前に置き去りにされていた大量のしおれた薔薇の束へと続く。
ほかに、好きだったエッセイをいくつか揚げてみよう。
「四角い匂い」
エレベーターの残り香を捉えた掌編。
マンションのエレベーターは、さまざまな匂いをのせて上り下りする。朝は出勤する人たちの整髪料の匂い。ひる近くになると、出前のそばの匂い。衣替えの季節には樟脳の匂い。(中略)四角い鉄の小部屋は風がない。匂いの逃げ場がないせいか、残り香は四角くなって、あとまで残るのであろう。
「箸置」
結婚し、仕事を減らしたいと言い始めた友人を引き留めると、こう言われた。
「箸置きも置かずに、せかせか食事するのが嫌になったのよ」
私はひとり暮らしだが、晩ご飯だけは箸置きを使っている。だが、夕刊をひろげながら口を動かしたりで、物の匂いや色をゆっくり味わうことはめったにない。これでは何にもならない。
ときどき箸を休めながら食事をする。それが人間の暮らしだと言われたのである。
「手袋を探す」
22歳の冬、気に入った手袋が見つからず、風邪をひくまでやせ我慢を通した。そんなとき、上司に言われた。
「君のいまやっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ」
ハッとした著者は、考える。
私は何をしたいのか。
私は何に向いているのか。
なにをどうしたらいいのか、どうしたらさしあたって不満は消えるのか、それさえもはっきりしないっまに、ただ漠然と、今のままではいやだ、何かしっくりしない、と身に過ぎる見果てぬ夢と、爪先立ちしてもなお手のとどかない現実に腹を立てていたのです。たしかに手袋は手袋だけのことではありませんでした。
「ことばのお洒落」
気がせいていて、渋谷駅で「渋谷1枚!」と叫んでしまい、しまったと思っていると、駅員さんが白い歯を見せ、静かに言った。「ただですよ」
こんな一瞬にも、スポットを当てている。
ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。無料で手に入る最高のアクセサリーである。
裏表紙の紹介文には、こうある。
平凡な人々の人生を優しい眼差しで掬いあげる名エッセイの数々。
平凡な自分でも、ことばのお洒落を磨き、楽しみ、小さな毎日を大切に暮らしていこうと思えるエッセイ集だった。
表紙絵は、司修。向田邦子さん、猫が大好きだったそうです。
ひとつだけ、記憶に残っていたエッセイがありました。
「残った醤油」
刺身の醤油。子供の頃、自分が使う分量を考え注ぐことを、厳しく父親に躾けられた話でした。
記憶にないほど若い頃に、この本を読んだのでしょうか。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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