圧倒された。読み始めた途端、惹きつけられたのは、美しさだろうか。
短編が終わるたびに、咲きほこった花がそっと蕾に戻っていくような静けさが漂う。
そしてまた、次の短編へとページを捲らずにはいられない。
11の短編は連作になっていて、前のストーリーでキーになっていた人物が主役になっていたり、そっと脇役に置かれていたり、さらにはもっと入り組んだ形で現れたりする。そのどれもが、死と残された人を描いていた。
「洋菓子屋の午後」
晴れ渡る空。風は公園の緑を揺らし、目に映るすべてのものが光に包まれた日曜日。息子を6歳で亡くした女は思う。
どこにも傷んだり欠けたりしたところのない、一枚の完全な風景が、光に映し出されていた。それをじっと眺めていると、隅から隅まで、どこを見回しても、この世に失われたものなど何もないのだ、という気がした。
女は、苺のショートケーキを買いに行く。6歳のまま永遠に歳をとらない息子のために。
「心臓の仮縫い」
鞄屋は、生まれながらの奇形で心臓が胸の外にある女から”心臓用の鞄”を依頼された。
全体を覆う、薄ピンクに染まった膜。生暖かい湿り気。掌におさまるほどの小ささ。完璧なバランスを保つ輪郭。しなやかな筋肉。……何という美しさでしょう。息ができないくらいです。
だが、あと少しで完成という段になり、心臓を身体に収める手術ができることになったと、女はキャンセルを申し出た。
「ベンガル虎の臨終」
女は夫の浮気相手が住むマンションへ車を走らせていた。
私は、拒否された記憶を一つ一つ思い出していった。夫が彼女と会うようになってから、これはもう習慣になっていた。いつ、誰に、どんな場面で自分は拒否されたか、それを子供時代からさかのぼって全部掘り起こしてゆくのだ。そうすれば私が夫だけでなくいかに多くのものたちからそっぽを向かれてきたかが分かる。
女はそんな自虐的な慰めに身を置きながらも、道に迷いマンションには辿り着けず、ベンガル虎の臨終に立ち会うことになった。
時系列は、行ったり来たりする。
「老婆J」は5本指の手の形をした人参を栽培し続け、秘書室の女たちはクリーニングに出された医者の「白衣」のポケットを確認する。「ギプスを売る人」はゴミの山に潰されて死に、男に冷たくされた女を老人は招く「拷問博物館へようこそ」。
”死”というものに、囚われた人たちの儚くも美しい物語。
真っ白い部屋に、赤は窓でしょうか。女の瞳が転がり、こちらを見つめています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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