3月の句会は、「卒業」「蝶」がお題。
行事である卒業と、生物である蝶。真逆のセレクトだ。
「卒業」の子季語(バリエーションバージョン)には、「卒業式」「卒業歌」「卒業生」「卒業証書」などがある。
一を知って二を知らぬなり卒業す 高浜虚子
別れや出発、悦びや感傷などを、卒業生、親、教師などの立場から、詠まれる季語。例句は、誰の立場ともとれるし、間接的に多くの人に向けられているともとれる。
歳を重ねても、何かを卒業しても、共感できる句だ。
春の季語「蝶」には、俳句の世界でしか知り得ないような子季語が、豊富にある。
・蝶生る(ちょううまる)早春に羽化する蝶
・初蝶(はつちょう)早春、初めて目にする蝶
・初蝶来(はつちょうく)初蝶の飛来
・蝶の昼(ちょうのひる)うららかに晴れた春の昼日中
・眠る蝶(ねむるちょう)葉の後ろなどに逆さになってとまる蝶
・双蝶(そうちょう)雄牝対の二頭の蝶
ほかにも、紋白蝶、黄蝶、蜆蝶(しじみちょう)など、多種多様の蝶の種をそのまま詠むケースもあるが、揚羽蝶は夏の季語だというから注意が必要だ。
蝶の空七堂伽藍さかしまに 川端茅舎
これは、自らが蝶となり空から七堂伽藍を眺めている。眺め見れば、逆さまに見えた。という発想を転換して詠んだ句だという。
蝶は、春の生命の象徴として詠まれるそうだ。
わたしの句は、こちら。
小さき手のつかみて消ゆる影の蝶
子供が、足もとにひらひらと揺れる蝶の影を捕まえようとした。けれど摑んでみてもそこには何もなかった、という句だ。
「影」の使い方が問題だとアドバイスをいただいた。
「影の蝶」とすると「影の女」のような怪しさが滲んでしまう。「影」自体にそのものの「姿」を意味する場合もあり、そうすると子供が摑んだのは影ではなく蝶ということになるが、ここは無難に「蝶の影」とした方がよいとのこと。
小さき手のつかみて消ゆる蝶の影
実際に伝えたいものの情報が少なく、伝わらなかったという例である。
4月の句会、お題は「桜」「ふらここ(ぶらんこ・鞦韆しゅうせん)」。
これもまったく雰囲気の違う季語で、楽しみだ。
ウラギンシジミ。
ウラナミアカシジミ。
ルリタテハ。
ウスバシロチョウ。
オナガアゲハ。
『地球の歩き方』蝶特集は、こちら。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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