ヨガ教室に行くと、忘れていた様々なことを思い出す。
先週は思いもよらず、とても小さな女性が一緒にレッスンに参加することになった。生後5カ月の赤ちゃんだ。
「すみません。抱っこしたままのレッスンになっちゃうんですけど」
先生が、妹さんの赤ちゃんを預かっているのだという。
たまたまその日は、わたしひとりの個人レッスン。レッスンにもだいぶ慣れ、やるべき形はだいたい判ってきた。「ひめトレ」という激しい動きのないタイプのヨガでもあるし、ノープロブレムだ。
ストレッチポールを使い、いつものレッスンを始めた。やわらかなメロディの音楽が流れていたこともあり、抱っこ紐なかの彼女はすぐに眠ってしまった。
お目覚めは、レッスン後半。足の指を開いたり閉じたりしていたときだった。
「いい見本が、ここにあります」
先生は「教えてあげてね」と赤ちゃんに話しかける。赤ん坊の足の指は、きれいに開いていてどの指も他の指に頼ることなく自立していた。
「まだ靴、履かないんだもんね」と、わたし。
「本当は、これが自然の形なのかも知れないよね」と、先生。
靴のなかに収められていつしか指達は寄り添う姿が当然のようになってしまったのだろう。裸足で歩いていた太古の人々の足の指は、赤ん坊のように開いていたのだろうかと思いを馳せる。足の指を開くと、しっかりと立つことができるようになり自然と姿勢がよくなり、疲労回復などにも有効なのだそうだ。
「立ったことすらないんだもんね。足ツボ押しても痛くないんだろうな」
「内臓も、健康そうだしね」ふたり、笑う。
とてもシンプルに生きているんだ、と思った。呼吸し、母乳を飲み、眠る。
だが彼女は、曇りのない瞳で珍しそうにわたしを見ていた。ずっとじっと見ていた。知らない人、と識別しているかのように。そのシンプルな生活には今、大量の情報が流れ込んでいるのかも知れない。それを摂取し、育っていく。
記憶にもない、ずっと昔の自分を見ているようななつかしい気持ちになった。
リビングに敷いたままのヨガマットと定位置に馴染んだストレッチポール。
冷えとり靴下で失礼します。思いっきり開いてこのくらいです。
これでも開くようになった方。どうぞお試しあれ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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