「まだ、痛むんだよ」
肺の手術をしてからというもの、電話の父の声がか細く聞こえるようになった。88歳という年齢での手術は、気持ちも弱らせてしまったように見え心配していたのだ。末娘が風邪をひいたときなどに電話するとやけに幼い声に聞こえるのと同じく、気のせいかも知れない。いや、電話で聞いた声がほんとうの声なのかも知れない。心配する気持ちは、振り子のように揺れる。
きのう、そんな父のもとへ見舞いに行った。
八宝菜を炒め、野菜スープでも煮よう、冬至だから柚子を入れた白菜と蟹缶の煮びたしも作ろうと、実家近くのスーパーで野菜やら肉やらを買い出ししてから、チャイムを鳴らした。
「キャベツ、まるまま買ってきたの?」
母は驚いていたが、わたしは何日か分の料理をする気満々で、さっそくキッチンに立った。すると父が、冷蔵庫を開け何やら得意げにタッパーを差し出す。
「白菜の漬物」と、父。
「まさか、漬けたの?」と、わたし。
「自転車で大きな白菜買ってきて2回漬けたから、来週漬かった頃に送るよ」
「うそ!今年も、漬けたの?」再度、聞き返してしまう。
先月訪ねたときには、座っていても寝ていても手術の痕が痛いとずいぶんと弱気になっていた。この変わり様はいったいどうしたことかと目を見張るばかりだ。
「いやね、るみちゃんがね」北海道で暮らす父の義姉のことである。
「今年はしょうちゃん(父)の白菜の漬物食べられないのかあって残念そうに言うもんだから、驚かせてやろうと思って」
最近父は、買ってきた総菜よりも自分の味つけの方が美味いと料理を再開したという。もともと父が料理し母が片づけをする関係だったので通常運転に戻った訳だ。そう言えば先月までの弱々しさは感じられない。すっかり元気そうである。
呆気にとられ、そして可笑しくなった。
心配して両手いっぱいに食材を買い込んできた自分に、そして昔から人を驚かせるのが好きだった父の一面を垣間見て。
「美味しい!ニンニクが効いてるこの味、おじいちゃんにしか作れないよね」
わたしは絶賛し、タッパーに入っていた白菜の漬物をたいらげた。
父は、得意そうに言う。
「誰かに喜んでもらうのって、いいね。るみちゃんも、びっくりしてたよ。手術したばっかりなのに、白菜漬けたの!?って」
誰かを驚かせたいという悪戯心と、得意な料理で喜ばせたいという気持ち、それがいい方向に作用して、父に元気が戻ったのは明らかだった。
「もう野菜スープとか、作んなくてもいいじゃん」
わたしはぶつぶつ言いながら、それでも予定通りのメニューを作り一緒に食事をした。そして父のおしゃべりをひとしきり聞き(4時間はひとしきりとは言わないかも知れないが)、実家を後にした。
写真は、以前父が送ってくれた白菜の漬物です。
ニンニクと唐辛子が効いた、ジューシーな味わいなんです。
実家の団地に咲いていた、多年草のヒメツルソバです。
オキザリス。冬にも咲くんだね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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