国立新美術館に『ダリ展』を観に出かけた。
ダリは、有名な「記憶の固執」という柔らかく折れ曲がった時計の絵くらいしか知らなかったが、予備知識はあえて入れず、ゆっくりと観て歩いた。
初期作品からモダニズムを経て、シュルレアリスムへと移行していくのだが、30歳代前半のダリが描いた絵を観て、早くもあっけにとられた。
「見えない人物たちのいるシュルレアリスム」という絵の前で、立ち尽くす。
―――見えない人を描く。
見える物が形を変えていくのなら、想像世界への翼を広げることで見えてくるものもあるだろう。だがそこに居るはずの人を、居てなお見えない人を、見えないままの存在として描くなど、わたしなら、想像世界へ羽ばたいたとしても何も見えず途方に暮れること必至だ。
穴があくほど見つめたその絵には、見つめ続ければ穴があくかもしれないと思わせるような、人の形のくぼみがあった。
その他にも「皿のない二つの目玉焼きを背に乗せ、ポルトガルパンのかけらを犯そうとしている平凡なフランスパン」とか、「紅冠鳥の巣と同じ温度であるべきナイト・テーブルに寄りかかる髑髏とその抒情的突起」など、想像の翼が折れ、ついていけなくなるのを必死でこらえて歩く。
そして辿り着いたのは「真の画家は、空っぽの砂漠を前にしても、カンヴァスを途方もない場面で満たすことができるはずである」と「真の画家は、果てしなく繰り広げられる光景を前にしても、ただ一匹の蟻を描写することに自らを限定することができるはずである」だった。
人間の頭のなか、あるいは心の奥に広がるものは、無限大なのだと知った。
芸術家だから、ダリだから、特別に大きなキャパシティーを持っていたのだろうとも思う。しかし、足下のみを見つめていた顔を上げ見上げてみれば、不意に広がっていく何かが、かすかに見えたような気がしたのだった。
夕刻の国立新美術館。『ダリ展』は夕方17時半まで入館、閉館は18時です。
看板の絵「奇妙なものたち」にも見えない人が描かれていました。 赤いソファのくぼみが人の形になっています。
絵葉書を買いました。左が「見えない人たちがいるシュルレアリスム的構成」 右が「オーケストラの皮を持った3人の若いシュルレアリストの女たち」です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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