小川洋子初期の作品で、芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』は、何度か読み始めたが読み進められなかった文庫本だ。
妊娠というものに、いい思い出がないせいかもしれない。
なにしろ3回ともずっと産むまでつわりが続き、産む痛みよりも余程辛い日々を過ごしていた。今思い出しても、苦くザラザラとした気持ちがよみがえる。
この小説の語りは、妊娠した姉と暮らす妹だ。
早くに両親を亡くした姉妹は、姉、姉の夫(歯科技師)、大学生の妹の3人で暮らしている。
年末、姉が病院に行き、妊娠を確認したところからカレンダーは始まる。日記といってもいい。
一月八日(木) 七週目十三日
ついに、つわりが始まった。
つわりがこんなにも突然やってくるものだとは知らなかった。姉は以前、
「わたしはつわりになんかならないわ」
と言っていた。彼女はそういう典型を嫌っている。
心療内科に長く罹っている姉の自己中心的な振る舞いは、病的だ。朝食にベーコンエッグを焼いていた妹を、泣きながら責める。
「においがどんなに恐ろしいものか分かる? 逃げられないのよ。容赦なくどんどんわたしを犯しに来るの。においのない場所へ行きたい。病院の無菌室みたいな所。そこで内臓を全部引っ張り出して、つるつるになるまで真水で洗い流すの」
妹は料理をやめ、どうしても必要なときには庭に炊飯器や電磁調理器を持ち出して作り、石鹸も歯磨き粉も無香料のものに変えた。姉の夫は、『特集・私はこうしてつわりを乗り切った』などの雑誌を読みあさるだけで、ただおろおろしている。
ふいに妹は、生まれてくる赤ん坊を、人間として捉えたことがないと気づく。
「染色体」としてしか認識できないと。
そしてある日霧が晴れたように突然つわりを終えた姉に、グレープフルーツのジャムを作るようになる。妹は、知っていた。グレープフルーツは防かび剤PHWに浸けられていて、それは人間の染色体を破壊する毒であることを。毎回その皮をすべて刻み、ジャムに煮込んだ。
姉はカレーライスを食べるかのように、嬉々としてジャムだけをスプーンで掬って食べ尽くす。毎日、毎日。
「このなかにPHWはどれくらい溶け込んでいるのかしら」
妹は薄い悪意のなかで、ただ思い、ジャムを作り続けていく。
自己主張の強い姉の支配下にいる自分を嫌いつつも、そこにあまんじている彼女には、姉の妊娠を、赤ん坊を受け入れられない気持ちのなかに、嫉妬、反撥、嫌悪、甘えなどがあったのだろう。
人が生きる起源となる「妊娠」のダークな部分を、外側から傍観し、淡々と描いた〈サスペンス〉ともいえる小説に、食べるという行為、人の営みのグロテスクさを垣間見た。
表紙絵は、山本容子。”食べる”と”生きる”をテーマにした小説を描いているのでしょうか。
「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」収録。
さえさんはつわり酷かったのですね。
私はないと言った方がいいくらい大丈夫でした。
2人目の時は転勤先で9ケ月ころまで自転車に乗っていて、近所のおばあさんに注意されたほどです。
健康かどうか関係なく厄介なのが妊娠中のつわりと聞きます。
私は小川さんの本を初めて読んだのはアンネ・フランクの記憶です。
彼女が日本の新宗教 金光教の家で生まれたのですね。
私の友人の一人も岡山のそういう家に生まれたので印象に残っています。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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