タイトルは、『樽とタタン』
「タルト・タタン」は、フランスの林檎タルトの名だが、「タタン」は、樽の上に座るのが好きな女の子。あごに長いひげをたくわえたおじいさんの小説家が、いつも珈琲樽に座っている女の子を「タタン」と呼び始めた。
好きなタイプの駄洒落だ。
9編から成るこの連作短編集は、洒落た(駄洒落た)タイトルから外国の物語かと思いきや、日本の、それも昭和の頃のレトロな喫茶店を舞台にしていた。
語りはタタン。しかし、30年以上も経った今むかしを思い出しながら語るのは大人になったタタンだ。
小学生だったタタンは、毎日その喫茶店に通っていた。両親は共働きで、保育所代わりに預けられていた。
常連客は、タタンと名づけた白髭の小説家。声の甲高い神主。歌舞伎役者の卵トミー。生物研究の学者バヤイ。学生さんや、サンタ・クロースが通っていた頃もある。
『町内会の草野球チーム』
学生さんは、成り行きで倒れたタタンを店まで負ぶって運ぶことになる。しかし彼は、恐ろしく自意識過剰なのだった。
僕が人助けをするような人間だと思われるのが気恥ずかしい。僕のような人間が人助けをするとは思わなかったと、だいたいそういうふうに人は思うだろうからね。そしてそこから僕を評価しようとする。幼い子供を助けたりするのは、やはり非常に人々の心に印象を深くするから、そのことが僕という人間の評価になってしまいがちです。そこのところが耐えられない。
『バヤイの孤独』
学者バヤイは、ひとり喫茶店で涙する神主を見て、孤独には2種類あるとタタンに語る。
誰かを思う孤独は思う人の心の中に誰かが存在する分、厳密には孤独でないとも言える。誰にも思われず、誰にも知られず、誰にも理解されないばやい、人は自分の存在すら疑うほどの孤独に直面する。そんなときに人を救うのは誰かを思う孤独である。
こんなふうに何とも理屈っぽく語る時代だったかも、昭和って。
だけどいちばん胸にすとんと落ちたのは、幼稚園を1日で退園したタタンの面倒を見てくれていた祖母の話だ。
『ぱっと消えてぴっと入る』
タタンの大親友だった祖母は、タタンに独自の死生観を語って聞かせていた。
祖母自身は、電気が消えるように命の炎を消したのかもしれないが、たしかにわたしの心の中に入り込んだ。わたしは心の中の祖母と会話することを覚えた。
祖母は、わたしが生涯で初めて持った死者だった。死者との思い出が生者の生を豊かにすることを、わたしは祖母を亡くしたとき初めて知ったのだった。
『もう一度、愛してくれませんか』
では、男と女のドロドロとした関係を吸血鬼に例え、腑に落ちるように語っている。
なんとなく知っていること。わかってるんだけど言葉にするのが難しいこと。
赤い珈琲樽に座ったタタンは、そういうことごとを、風変わりな大人たちに教えられるでもなく、知っていったのだった。
赤い珈琲の樽がお洒落可愛い。
カバーを外すと珈琲豆が並んでいました。
これ、なつかしい!
裏には、インベーダーゲームも。喫茶店にあったなあ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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