『思い出トランプ』、『隣の女』に続き、向田邦子を読んでいる。
男時(おどき)=何をやってもうまくいく隆運発展の時。
女時(めどき)=何をやってもうまくいかない衰運停滞の時。
『男どき女どき』というタイトルは、世阿弥がかいた能の理論書「風姿花伝」の言葉からとっている。
時の間にも、男時、女時とあるべし。いかにするとも、能にも、よき時あれば、必ず悪きことまたあるべし。これ力なき因果なり。
うまくいくときがあれば、うまくいかないときもある。
そんなテーマで描かれた小説が、4編。
「男どき女どき」連載途中で、向田邦子は亡くなった。
「鮒」
日曜日の昼。塩村は、妻と高校生の娘、小6の息子と、笑い声を上げていた。いつにない家族団欒のその瞬間、鮒の入ったバケツが台所に置き去りにされていた。
間違いない。これは鮒吉だ。
塩村に捨てられた女、ツユ子が置いていったのだった。
塩村は、こともあろうに息子を連れて、以前ツユ子が暮らしていた町を訪ねる。
「ビリケン」
サラリーマンの石黒は、出勤時、いつも果物屋の前を通る。
毎朝ルーティンのように、そこの店主と目を合わせる。石黒は、勝手にビリケンというあだ名で呼んでいた。
ジロリとこっちを見た視線に、粘りがあった。敵意といってしまうと大袈裟で別のものになる。反撥というのでもない。ちょっと引っかかったわけのわからないもの、といったらいいのか。
どっちにしても石黒は、毎朝、ビリケンをチラリと見て、ビリケンも石黒をジロリと見ないことには一日が始まらなかった。
「三角波」
結婚を間近に控えた巻子は、フィアンセ達夫の後輩、波多野の熱い視線を感じるようになる。
「三角波が立つと、船は必ず沈むのかしら」
結婚した巻子は、夫に問う。
「沈むとは限らないさ。やり過ごしてなんとか助かる船もあるんじゃないのか」
達夫の手が肩にかかった。
その手を振り払おうか、それとも肩のぬくもりを信じてこのままじっとしていようか。
「嘘つき卵」
松夫と佐和子には、なかなか子供ができなかった。思い詰めて検査した佐和子の身体には問題はなかった。松夫に言うと、自分も問題ないという。
女をみごもらせたこるがある。
女に目星をつけた佐和子は、会いに行くのだが。
ほかに、掌編やエッセイが21編収められている。
「無口な手紙」が好きだった。
昔、人がまだ文字を知らなかったころ、遠くにいる恋人へ気持ちを伝えるのに石を使った、と聞いたことがある。
男は、自分の気持ちにピッタリの石を探して旅人にことづける。受け取った女は、目を閉じて掌に石を包み込む。尖った石だと、病気か気持ちがすさんでいるのかと心がふさぎ、丸いスベスベした石だと、息災だな、と安心した。
「いしぶみ」というそうだ。秒速でスタンプを返す時代が来るなんて、その頃、誰が思っただろう。
遠い遠い世界から送られてくる、向田邦子からのメッセージは続く。
解説は、表紙絵、挿画の風間完でした。向田邦子との出会いや思い出などを綴るなかに、1枚の挿画についてかかれていました。
鳩が岩山に墜落しているイラストは、連載当時は三回目の「三角波」のカットとして描いたものだが、これはそれから一ヶ月余りの後彼女が乗って墜落した飛行機そのものの絵と言える。
このカットです。画家は自己分析をしていました。
自分の気持ちを整理して、どうしてそういう絵を描いたのかを思い返してみたが、何も思い当たるふしというようなものは見当たらず、ただ単に危険な「三角波」という小説の内容にマッチするイラストを私なりに作ったということだけのようだ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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