桜木紫乃の小説であるから、舞台はやはり北海道だ。
序章は、秋風が吹き始めた厚岸での火災から始まる。
釧路で会計事務所を営む澤木は、愛人関係にある恋人、節子と、彼女の生まれ育った町を訪れていた。忘れ物をとりに行くという節子を車中で待つ間に、節子は自ら家に火を放つ。遺体は焼け跡から見つかった。
主人公、節子(30歳)は、30歳も違うラブホテルの経営者、幸田喜一郎の妻。
「僕の妻になれば生活に汲々とすることもないし、させない。おおっぴらに金を渡せるし、それを自由に使える。歌集も出してあげられるし、朝寝坊もできる。与えられた時間は節ちゃんが自由に使っていい。断ってもいいけど、断らせない自信もある」
それが喜一郎のプロポーズだった。関係は複雑極まりない。喜一郎には3回目の結婚であり娘もいる。そのうえ節子の母、律子が長く愛人だった。節子もまた、勤め先であり、ホテルの会計管理をしている会計事務所の澤木との関係を続けたまま結婚生活を営んでいた。
回想をたどっていく物語は、真夏の8月に戻る。
子ども時代母律子に虐待を受けていた節子は、短歌の会で同時期に入会した倫子(みちこ)が連れてきた娘まゆみ(7歳)が虐待されていることに気づく。
ところが、喜一郎が自動車事故で意識不明の重体になり、看病に追われることとなった。やっとのことで家出した喜一郎の娘梢(20歳)を探し連絡をとることができたと思ったら、突然逃げてきたまゆみを預かることになってしまう。母律子まで行方がわからなくなり、節子の足もとは、砂のように崩れていくのだった。
タイトル『硝子の葦』は、節子が自費出版した短歌の歌集のタイトルでもある。
「湿原に凛と硝子の葦立ちて洞(うつろ)さらさら砂流れたり」
節子は、流れゆく砂を自分のなかに抱えていた。
目覚める直前まで砂の中にいる夢をみていた。自分がなぜそんなところにいるのか分からないまま、必死で地上に這い上がろうとしている。乾いた赤い砂だった。いくら両腕を使って掻いても、水のように体を上へと押し上げてはくれない。呼吸の苦しさが焦りを呼び、焦りが余計に生きていることを実感させた。
砂が下へ落ちていこうとしていることに気づいたのは、両腕の力が尽きた、と思った瞬間だった。諦める、というのとは少し違った。ここから抜け出す方法は、浮上ではないのかもしれない。砂は流れている。流れる先があるということだった。節子は自分も砂の一部になろうと決めた。
葦は、茎のなかが空洞になっている。硝子の、とは、壊れやすいという意味か。湿原にたたずむ空っぽの心を持った女。砂はどこまで流れていくのだろう。
ラブホテルの従業員、とし子の達観した言葉が、印象的だった。
「男も女も、体を使って遊ばなくちゃにっちもさっちも行かないときがあるんです。ホテル屋はそのお手伝いをしてるんですよ。観光地のホテルは一度行けば満足します。けど、セックスで辿り着く場所ってのはもう一度見ないと不安になるんだそうです。うちの旦那がそう言ってました。人間って、一度いい思いをすると同じ場所でしたくなるんだそうです。そういう動物なんですよ、たぶん」
どうせ空っぽなら、壊れてもいいと思えればいいのに。
胸に抱えた空洞が、ざらざらと痛む小説だった。
この帯がなかったら読まなかったかも。新潮文庫に感謝です。
ラブホテルの名は「ローヤル」直木賞を受賞した『ホテルローヤル』と同じだが、2つの小説に接点はない。解説の池上冬樹がかいていた。桜木紫乃の父親が経営していた実在のホテル名が「ローヤル」で、思い入れがあるのだろうと。
WOWWOWドラマWで2015年に、ドラマ化。節子を相武紗季。澤木を小澤征悦。喜一郎を奥田瑛二が演じている。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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