東京に出た際、神保町の古本屋街を歩いた。
会社が神田に移転してから、神保町の駅付近はよく歩くようになったのだが、古本屋に立ち寄ったのは初めてだった。
ふらふら見て歩いたのは5店舗ほどだったのだが、古本もネットで買える時代。特別、文学少女というわけでもなかったわたしが、震えるほどになつかしい本に出会えるとも思えなかった。新刊本の本屋を見ている方がよほどわくわくするはず、見る人が見ればお宝本もわたしにはわからないだけ、猫に小判とはこのことだと自嘲気味な気分で歩いていた。
ところが、3件目に入った悠久堂書店で、とてもなつかしい背表紙を見つけた。
じつにもう20年以上、その本の存在さえ思い出しもしなかった本である。
入口近くに料理本を並べたその古本屋で見つけたのは、珈琲やワイン、お菓子作り本とともに設けられていたパンのコーナーにて。高校生だったわたしがバイト代で購入した新刊の手作りパンのレシピ本『ビアードさんのパンの本』(文化出版局)だった。
「うっわ! なつかしい!」
身体じゅうに、電撃が走ったかのような震えが来た。思わず手をカーディガンでごしごし拭いてから、ゆっくりと背表紙に手をかけた。
レシピ本といっても、写真は一切ない。絵もカラーなのだが、茶やオレンジ、黄色、やわらかな緑などほぼ暖色系でまとめられている。小麦粉は、当時ビアード氏が使っていた強力粉と中力粉の中間くらいの粉が日本には出回っていないとの前置きのもと「粉」とかかれている。レシピ自体も、とてもシンプルだ。
何ともお洒落な料理本なのである。
そうだった。
憧れたのだった。高校生だったわたしは、この本の雰囲気に。
そして、家でパンを焼くという生活に。表紙に描かれた丸顔のビアードさんのいかにも食べるのが大好きで、パンを焼くことが大好きで、それゆえ生きていることが楽しいのだと言わんばかりの笑顔に。
その後、結婚して母親となったわたしは、子どもたちによくパンを焼くようになった。だがいつの間にか『ビアードさんのパンの本』を開くことはなくなっていた。その頃には、もっと実用的なレシピ本を使うようになっていたのだと思う。憧れさえも日々の忙しさに紛れてどこかへいってしまったのだろう。
古本屋で見つけたのは、30年前のパンのレシピ本であり、高校生だったわたしの、どこかに紛れ込んでしまった憧れの、小さな小さな切れ端だった。
ゆっくりと本を閉じ、書店の棚に戻した。2500円の値がついた定価1500円のその本は、平成生まれのカラフルなレシピ本の間で、ふたたび眠り始めた。
『ビアードさんのパンの本』が売っていた悠久堂書店です。
澤口書店には、店頭に『暮らしの手帖』のバックナンバーが。
田村書店は人だかり。わかりやすくまとめられた本には付箋が。
書泉グランデは、新刊本を扱う本屋さん。欲しい本いっぱいでした。
古本屋の店先は、パリの街並みのようですね。
雰囲気がありますね。
たから探しのようで、昔の自分に出逢えるようで、吸い寄せらるのでしょうね。
さえさんも、懐かしい本に出逢えましたね。
ふるえるほど……なんだかわかります。
暮しの手帖のバックナンバー、私も見てみたいです。
ぱすさん
パリの街並みですか~?
わたしにはもっと、東京の下町な雰囲気に思えました。
なつかしい本に出会って、ほんとうにびっくりでしたよ。
『暮らしの手帖』のバックナンバーを見て、ぱすさんを思い浮かべました。
1冊1000円で売っていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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