「天に通じるように、葉脈が伸びているみたい」
ミラノでドゥオモを見上げたとき、その細やかさと美しさに、植物のなかに伸びていく水分や養分を運ぶ道、葉脈がはりめぐらされているような錯覚を覚えた。
歩きながら、何度見上げても圧倒され、驚きは広がるばかり。
「きれいだね」としか口にできない歯がゆさに、何度も口にしてしまう。
ただ「きれいだね」と。
フィレンツェのドゥオモを見て以来、ドゥオモとはクーポラ、つまり半球形の屋根を持つ教会のことをいうものかと思っていた。それもあってミラノのドゥオモを目にしたとき、葉脈が通ったようなその繊細さに驚いたのだ。
ドゥオモとはイタリアで、その街を代表する教会、大聖堂のことをいうそうだ。
美しいものを見ていると、心が洗われるような気持ちになる。だから、教会は美しく作られるのだろう。ミラノのドゥオモを見上げ、実感した。
本当に心が洗われるのなら、じっと見つめよう。
これまで汚れた部分が、洗い流されていくのなら。
キリスト教とか宗教とか、そういうものを超えて、自然とそう考えている自分がいた。そして見つめれば見つめるほど、まるで生きているかのようにのびのびとドゥオモは空へと続いていく。
「何かを、超えようとしているみたい」
その姿は、天を仰いで人が今日を生きていくのとも、似ているように思えた。
ミラノのドゥオモの正式名称は『サンタ・マリア・ナシェンテ教会』
「生まれつつある聖母のための教会」という意味を持つそうです。
真下から見上げると、こんな感じです。
ドゥオモのなかに入って、天井を見上げて。
なかも、すべてをじっくり観てはいられないほどの広さです。
太陽の光があるからこそ浮き出る、美しい絵の数々。
光があるからこそ作り出せる美しさに、人は救いを求め、その人の手によって作り出されたモノたちを、今生きているわたしたちが見つめる。
頂にいるマドンニーナの縮小版も、その前にたたずんでいました。
ドゥオモの屋上へ、エレベーターで上りました。
雨どいの役目を持つガーゴイルたちも、上から眺められました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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