年末も押し迫った27日28日。一泊で真田の里、上田を旅した。
歴史大好きな夫は、『真田太平記』を読破するほどの真田ファン。
スペインでお世話になった恩人が軽井沢に滞在するというので、それに合わせ、かねてから訪ねたかった真田の里へ行こうと思い立ったのである。
車で2時間ちょっとの場所なのに、いざ行こうとなるとなかなか実現しなかった上田行きが念願叶ったわけだ。
「上田城址公園」へ到着し、まず見上げる櫓(やぐら)の高さに驚いた。
城はないが、城が建っていた場所自体が見上げるほどの高さなのである。
2度の上田合戦で徳川の大軍を打ち破った、その所以を見上げているかのような迫力があった。
また、そこから北へ20分ほど走ったところ「真田本城」(山城)の見晴らしの良さには、ふたたび驚いた。
敵を寄せつけないばかりか、その動きを手に取るように把握していただろうことが、一目瞭然だった。
大阪に真田幸村が築いた「真田丸」の堅い守りは、この地で生まれ育まれたものだと知った。
歴史に疎いわたしが、城のない城址を観て、こんなに感動したのは初めてのこと。
なにか見えないパワーのようなものすら、強く感じたのだった。
南側の駐車場に車を停め、「上田城址公園」を見上げました。
「西櫓」です。高い!
写真ではわからないかもしれませんが、お堀を上から覗くとまるで崖のようでした。
「東虎口櫓門」です。
「真田石」真田信之が松代移封の際、父の形見にと運ぼうとしたが不動だったと伝わります。
城址公園内にある「眞田神社」は、新年の準備をしていました。
たくさんの絵馬が揺れて。
お昼は、やっぱり蕎麦。温かい鴨南蛮にしました。ものすごーく寒かったから。
城址公園より北にある「真田氏本城跡」。山城です。
石碑には、見下ろす山々や木々が映っていました。
上田市内を見渡せる風景。地の利を活かした山城だったことがよくわかりました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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