8月の句会の兼題は、晩夏の季語「花火」と、秋の季語「残暑」。
夏の生活の季語「花火」を詠むときに大切なのは、距離感だと教わった。
傍題の「手花火」「遠花火」でわかるように、庭で手に持ってする花火と、遠く見える打ち上げ花火と大まかに分けると2つ距離の違いがある。
ほかに、庭でする花火にもねずみ花火など手に持たない花火もあり、音だけが聞こえる遠くの花火もある。
そこをきっちりとイメージして詠むことから、始めるべしと。
ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火
この句は、遠花火とも違い、旅で見た花火を夢のなかで見るという距離。
手花火の火は水にして迸る(ほとばしる) 山口誓子
この句は、手に持つ花火なのだが水の上にかざし映った映像を詠んでいる。
距離感が、それぞれ微妙に違っているのがよくわかる。
秋の時候の季語「残暑」。傍題に「残る暑さ」「秋暑し」「秋暑(しゅうしょ)」などがある。
「残暑」「残る暑さ」には、夏の暑さとはまた違う、やりきれなさがある。「秋暑し」「秋暑」には、残暑よりも少し秋を感じ、暑さも和らぐ雰囲気があるそうだ。
「残暑」の例句は、こちら。
口紅の玉虫色に残暑かな 飯田蛇笏
口紅の赤がぬらぬらと玉虫色に光るさまに「残暑」。
「秋暑し」の例句は、こちら。
秋暑し道に落せる聴診器 高橋馬相
人の胸の音を聞く細やかなものである聴診器が道に忘れ置かれたさまに「秋暑し」。
並べてみると、季語の持つ印象、力が見えてくる。
わたしの句は、こちら。
たばこ屋の錆びた看板秋暑し
先生から、文語と口語が混在しているとの指摘があった。
口語「錆びた」は文語だと「錆びし」。
文語「秋暑し」は口語だと「秋暑く」。
たばこ屋の錆びし看板秋暑し
7月に義父の三回忌で帰省した神戸で、昭和の頃に栄えた商店街を通り、古びたレトロな看板が並ぶのを見かけて詠んだ句だ。
9月の兼題は、秋の季語「秋風」「虫」。まだまだ残暑が続きそうだけど、すっかり秋になっているだろうか。
掬星台(きくせいだい)から見た神戸の街の写真です。
わたしの句は神戸で詠んだ句なのですが、「秋暑し」のイメージ写真を探したら、台北の迪化街(ディーホアジエ)の雰囲気がぴったりだったので、そちらをどうぞ。
昭和レトロな雰囲気を感じた町並み。
錆びた看板もありそう。
看板もおばちゃんも味がある。
お茶屋さん。
カレーのような香辛料の匂いを今も思い出します。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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