世のなかが一変し、日々の暮らしさえもが変わってしまった。
街を歩く人の姿はまばらになり、マスクやアルコール消毒薬が手に入らないまま、今や手作りマスクの材料である白や生成りのミシン糸さえが入荷待ち状態だ。
在宅勤務をする人が増え、学校も休校。
平日も、家で過ごす人が多くなった。
自粛自粛の巣ごもり続きで、心まで雲がかかったような日々。出口さえ見えない。
家庭のなかがぎくしゃくし暴力にまで発展する家も、世界中で増加していると聞く。DVや虐待は、弱いものへと向かう。
幸いわたしはそうならずに済んだが、3人の子どもたちを育てる日々、いつ自分が虐待してしまうかもわからないというところまで心が追いつめられた時期があった。
振り返れば、幼い子どもたちと長時間、家という密室で過ごす日々は、自粛だらけの巣ごもりととても似ていた。
自分のなかでは忘れてしまいたいほど辛い記憶だが、今そんな辛さの真っただ中にいる人のために、そのときわたしが編みだした技をお伝えしようと思う。
子どもたちも今、不安でストレスもたまっていることだろう。
不安になると、人は怒ったり甘えたり泣いたりわがままを言ったりする。大人でもそうなのだから、子どもならなおさらのことだ。
「いいかげんにしなさい!」と怒鳴って叩いてしまいそうになったとき、その止まらなくなった勢いで、その行き場のない強い力で思いっきり、わたしは子どもたちを抱きしめた。
そして、何度も何度でも言った。
「大好きだよ、大好きだよ」と泣きながら。
たまりにたまって行き場を失った負の力は、自分でも思いもよらない形で吐きだしてしまうことがある。
だから、そうなるまえに「思いっきり、抱きしめて」ほしい。
子どもじゃなくてもいい。
妻でも、夫でも、年老いた親でも、自分より背が伸びた子どもでも、兄弟でも、姉妹でも。
そして、「大好きだよ」と言ってみてほしい。
それですべてが乗り越えられるわけじゃないとは思うけれど、わたしは山を越えられた。だから、
辛いときには、「思いっきり、抱きしめて」、「大好きだよ」と言ってみて。
抱きしめた方も、抱きしめられた方も、心のなかできっと何かが変わるから。
玄関でいつも静かに笑ってくれている「沈思」の像。
人の気持ちがギスギスしてきますね。
ここまで、自分が我慢しているのに、一向に光が見えない。
急な変化についていけない心って、誰しも持っているものですね。
その鬱屈した心を、どの方向へもっていくか・・・。
試されていますね。
私も、職場であるんですよ。
皆、ぎりぎりだなあって。
笑顔で毎日会いますが、口にこそ出しませんが、そのうち箍が外れていくのではと思うのです。
こんな時、家族の事を思います。元気でいてくれているので、安心はしていますが。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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