日曜日、市内のホールで『峠の少女』を観てきた。
エッセイサークルで教わっている水木亮先生が脚本・演出を務める演劇で、昨年終戦記念日に公演したものに手を加えてあり、戦争の悲惨さが、よりリアルに伝わってきたように思う。
敗戦後、朝鮮に残された約20万人の日本人が日本へ帰ろうと脱出を試みたが、その道のりは険しかった。ソ連軍の進攻は敗戦後も続き、殺人、暴行、飢餓、発疹チフスなどで多くの人が死んでいった。アメリカ軍が救援してくれる38度線まで行けば、きっと助かる。ただそれだけを信じて、歩き続ける日々だった。
少女みちえは、父を軍隊にとられ、母を捕虜として過ごした収容所で亡くした。叔母と祖母と朝鮮人の家政婦とともにただただ38度線を目指し、歩いていた。水も食料も底をつき、祖母は「おじいちゃんが待っている日本に帰って、巫女舞を舞っておくれ。そうすればきっと、みんなが幸せになれるから」と言い残し死んでいった。みちえは、最後となる巫女舞の踊り手。巫女舞がなくなることがなければ、きっと幸せな世の中が来る。祖母は絶望のなかでそれだけを信じていた。
新しく演じられたシーンは、どれも印象的だった。
足手まといになるからと、崖から身を投げる祖母。
赤ん坊と子どもは逃亡の邪魔になると、母親からとり上げ川に投げ捨てる兵士。
食べ物がなく死にかけた子どもを、朝鮮人に託す母親。
力尽きて道端で死んでいった、母親と幼子。
そんな現実のなか、どんな思いで暮らしていたのか想像もつかないが、それでも人の心のなかには「希望」というものが芽生え根づくことがある。
希望を捨てずに歩き続けたみちえは日本に帰ることができたが、摘み取られ、踏みつけられた希望の芽も数え切れないほどあったのだろう。
赤ん坊を川に投げた兵士だって、戦争が起こらなければ、そんなことをするはずもない優しい人だったのかも知れない。ごく普通に暮らしている人が、ごく普通に暮らしている人を殺す。そんなことがあたりまえになる戦争というものを、二度と起こしてはならないと、強く思った。
高根町の八ヶ岳やまびこホールでの観劇でした。
「再び元来た道に戻ろうとする日本の今、この演劇『峠の少女』を満州や朝鮮に取り残され、祖国日本の土を踏むことが出来ず、置き去りにされ無念の死を遂げた日本人引揚者の赤ちゃん、少年少女、娘さん、お母さん、お父さん、お婆さん、お爺さんに捧げたい」とチラシ裏にありました。
38度線を目指してみちえが歩いた峠は、どんな山だったのでしょうか。
書道の研修の為に、演劇見に行けませんでした。
とても残念でしたが、優先順序はやむ無く書道でした。
もう何十年もまえに亡くなった女優さんに、小林千歳さんと言う方がいました。ご存知ですか?
彼女は家族と一緒に38度線を目指した経験を本にして、当時注目を浴びました。私も勿論購入しました。本のタイトルは…お星様のレール… 思い出しました。実体験なので感動的でした。探して再読しようと思います。
この平和が、ずーっと続くこと願って止みません❗
カエルの合唱、⤴⤴ しあわせ感じます。
悠里さん
書道の研修でいらしたんですね。残念でしたね。
小林千歳さん、お名前だけは聞いたことがあります。
38度線を目指して歩いた経験を本に綴られた女優さんなんですね。
『お星様のレール』わたしも探してみます。
ほんとうに、平和な世の中が続いてほしいと思います。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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