もしも自分以外の誰かになれるとしたら、わたしは、そしてあなたはどうするだろうか。
名前を捨て、戸籍を捨て、家族も友人も捨て、過去のすべてをなきものとする。
それと引き換えに、誰かの人生を手に入れる。
けれど、真っ白なノートの最初のページが始まるのとは訳が違う。ノートには、ほかの誰かの人生がすでに自分ほどの年齢までかきこまれているのだから。
それでも過去から逃れるためには、有効な手段かもしれない。
それほどまでに、捨てたいと切望する過去があるとしたのなら。
小説の主人公は、日系三世で弁護士の城戸章良。
彼に奇妙な事案が持ち込まれた。
事故死した夫「谷口大祐」が、じつは戸籍とはまったく別の人物らしいと、妻、谷口里枝は言うのだ。
彼女は以前、離婚調停で城戸が代理人を務めた女性だった。
再婚し田舎で幸せに暮らしていたのだが、林業に携わる夫を仕事中の事故で失った。疎遠となっていた夫の実家からやってきた義兄が遺影を見て、初めて別人だと判明する。
幸せだと思っていた4年あまりは、現実だったのか。愛していたはずの彼は、いったい誰だったのか。まさか犯罪に手を汚していたのではあるまいか。
里枝は、彼と過ごした月日が突如として現実感を失い、途方に暮れていた。
里枝の力になりたいと思う一方、妻とうまくいっていなかった城戸は、酒に任せ酔ったバーで自分は谷口大祐だと名乗り、大祐の人生をバーテンダーに語る。
もしもほかの誰かの人生を生き直せるとしたら、という妄想に夢中になっていることに危うさを感じながらも、バーテンダーに大祐の元恋人、美涼とのことを語る自分は、もはや城戸本人ではないような奇妙な感覚に陥っていた。
事故死した男は、誰だったのか。
城戸は、心を乱しながらも正体に近づいていくのだった。
今年公開予定の映画『ある男』では、城戸章良を妻夫木聡が、谷口里枝を安藤サクラが、谷口大祐を窪田正孝が演じます。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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