2015年刊行の『ギリギリ』は、『三千円の使い方』、『ランチ酒』の原田ひ香の連作短編集。
すべて片仮名の短編タイトルがすっきりとしていて、時系列に沿って3人の登場人物が一人称で語っていくのも、それぞれの個性が際立っておもしろい。
「アナログ」(健児)
あまり仕事がないシナリオライターの健児は、老いた静江に相談を受け、一緒にテレビを買いにいく。
静江は、妻である瞳の死んだ元夫、一朗太の母親で、親戚とも言えない関係。なのに、つい世話を焼いてしまいたくなるのだった。
健児と再婚した瞳は、妻の元夫の母親の頼まれごとを引き受けるなど、人がよすぎると思っているようだが。
たぶん、と思う。僕が静江さんを好きで大切にするのは、それが瞳さんの一部だからだ。彼女を形作っている、これまでの出来事の一部。
「モヒート」(瞳)
瞳は、亡き夫の愛人だったという冴子との会食が嫌でたまらないのに、誘われれば出かけてしまう。夫の健児にも内緒で、冴子には再婚したことも告げずに。
「私はね」
こちらの話をろくに聞かずに、冴子さんはぺらぺらと話し出す。
いわく、人ごみの中で一朗太と同じ着信音を聞いて身動きができなくなった。電車の中で同じコロンの匂いを嗅いでつらくなった。来年の手帳が売られ始めたけど彼と出会ったのはその季節だと思い出してしまう……。
「スカイプ」(静江)
最愛の息子に愛人がいたと知った静江は引きこもりがちになるが、英会話教室のすすめで、日本語を学びたいという外国人とスカイプで話すようになる。
何度かスカイプしたヘンリーに家族のことを訊かれ、静江はつい息子自慢をしてしまう。まるで一朗太が生きているかのように。
だが、ヘンリーからずっと担当してほしいと指名され、静江は動揺した。
これからもずっと、息子のことで嘘をついたまま、彼と顔を合わせるのか。架空の息子について話し続けなければならないのか。
リンゴを食べる手が止まる。口の中のものをなんとか飲み込んだ。
そんなこと、できるのか。
「シナリオ」(瞳)
ゴミ箱に捨てられた健児がかいたシナリオを読み、瞳は愕然とした。戦時中の話だが、戦死した夫を待ち続けた女性は、再婚を拒み独りで生きていく。健児は、夫を亡くしてすぐに再婚した自分をどう思っているのか。
「あなたのことを旦那が死んだばかりなのに再婚する甘えた女だと言ってる人がいるのよ。前の旦那さんがかわいそうだと言っている人も」
「ギリギリ」(健児)
シナリオライターの仕事に忙殺される健児には、瞳との関係を修復する暇もない。ようやく仕事が一段落した健児は、静江を訪ねた。
「なんか、どんどん箸が出てしまって。普段はこんなに食べないんですけど」
「あなたがご飯の一杯目のおかわりをした時、これは普通じゃないと思った。鬼気迫ってた。疲れていたみたいだったし」
でも楽しかった、と静江さんはつぶやいた。
心の迷いを放置することなく突き詰め、自分に向き合っていく3人。
性格のまったく違う彼らだが、それぞれに親子や夫婦というものを超え、人として相手に接していこうと真摯に考える。
健児に、いちばん共感できた。たぶん、わたしは彼と似たタイプだ。とは言え、無論まったく違う部分もあり、学園のマドンナだった瞳や良妻賢母だった静江に共感するシーンも多々あった。
こんなふうにキャラクターに寄り添う読書体験は、久しぶりだった。
図書館で借りました。短編集は、やっぱり入りやすいですね。
表紙絵は、たぶん上から一朗太(足だけ)、健児、冴子、静江、瞳かな。
こんにちは。
秋田は今日36度を越えました。
毎日暑くて溶けそうです~。
さえさんの書く本の紹介はすごい!
子どもの頃から読書感想文を書くのが大の苦手だった私はただただ感心するばかりです。
紹介だけでこの物語に引き込まれます。
人間関係というのは実に複雑ですね。
キャラクターに寄り添いながら読み進められる物語はいいですね。
身近にいる人が、実は思ってもみない気持ちでいることって案外多いのかもしれませんね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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