吉田修一の芥川賞受賞作『パーク・ライフ』。
ずっと積ん読にしたままだったのだが、ようやく読むことができた。読み始めると夢中になった。なにしろ、洒落ているのだ。
舞台は、日比谷公園だ。
〈ぼく〉は、バスソープや香水を扱う会社の広報兼営業で、店舗営業の途中で公園に立ち寄るのが日課になっている。
ある日、電車のなかで先輩に話しかけたつもりが見知らぬ女に話しかける格好になってしまい気まずい思いをするが、女はまるで知り合いのように返事をした。
その女が、じつは日比谷公園で〈ぼく〉を目にしていたことを、後々知ることになる。
「あなた、あのベンチに先客がいると、嫌がらせみたいに何度も何度もその人の前を通って、この前なんか、先に座ってたカップルの前で、わざとらしく携帯なんかかけてたでしょ? 三分くらい大声でしゃべって、そのカップルが迷惑そうに立ち上がったときのあなたのうれしそうな顔、私、未だに忘れられないもの」
〈ぼく〉は名も知らないその女性を、会社の先輩の近藤さんとともに「スタバ女」と呼ぶようになる。公園には、そのほかにも常連的な人たちがいて、名を名乗らぬまま、会話したりする。
公園のベンチで長い時間ぼんやりしていると、風景というものが実は意識的にしか見えないものだということに気づく。波紋の広がる池。苔生した石垣。樹木、花、飛行機雲、それらすべてが視界に入っている状態というのは、実は何も見えておらず、何か一つ、例えば池に浮かぶ水鳥を見たと意識しはじめて、ほかの一切から切り離された水鳥が、水鳥として現れるのだ。
〈ぼく〉はスタバのカップの残像から、ニューヨークを旅したときの事細かな出来事や、高校時代「弟にそっくりだから」という理由でフラれた女の子のこと、眠っている彼女にキスしたことなどを、つらつらと思い出す。
こうやってぼんやりした状態からふと我に返るとき、ときどき戦慄のようなものが走る。いま自分が見ていたもの、記憶のような、空想のような、どこかあいまいで、いわばプライベートな場所を、通りすがりの人に盗み見られたような気がするのだ。
大きなストーリー展開はない。
別居している知り合い夫婦の猿の散歩をさせたり、母親が田舎から押しかけてきたり、人体立体模型を売っている店をひやかしたり、不思議な時間が過ぎていく。
まるで、風景画を眺めているような小説だった。
2002年に出版された単行本。買ったのは、2018年のようです。中編「flowers」収録。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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