「イヤミス」とは、読んでイヤーな気持ちになるミステリーのことだそうだ。
伊岡瞬のミステリー『代償』(角川文庫)は、まさにイヤミスだった。
小学校6年生の冬、圭輔は、自宅の火事で両親を亡くした。母の遠縁にあたる団地住まいの親戚である同い年の達也の家にひきとられるが、彼らは圭輔の両親の保険金を含めた遺産が欲しいだけだった。毎日風呂に入ることも許されず、服も買えず、床屋にも行けない。友達は圭輔から離れていき、底意地の悪い達也とその母親、道子との暮らしに疲れ果てていった。
だが月日は流れ、25歳の圭輔は、弁護士となっていた。
その彼のもとに弁護の依頼が来る。達也だった。殺人罪で起訴されたが、無実の罪だという。圭輔は、達也の巧みな罠に落ちていく。
達也、という人間を表す文章を抜きとってみた。
彼は他人の人格を汚すこと、破壊することに喜びを見出すのです。自分がいい思いをするのと同じぐらい、他人が不幸になることがうれしくてしかたがないのです。
葬儀場で火葬している最中に、駐車場でバーベキューパーティーをやれるような感覚の持ち主なのだ。
達也がすぐ近くにいた人間の死は、俺たちが調べただけで七人だ。
袋叩きに合っている俺を黙って見おろしているあいつの目を見て思った。いや、確信した。世の中には矯正できない人間がいる。こいつがそうだ。こいつは世の中に存在してはいけない邪悪な化け物だって。
達也を表現するには、「世の中に存在してはいけない邪悪な化け物」という言葉がぴったりくる。達也は、自分以外に向ける愛情などかけらも持っていない。仲間や友達という言葉はうわべだけで、利用するためだけのゲームの駒に成り得る人材としか思っていない。母親でさえ、そうだ。誰かが苦しめば苦しむほど楽しくてしょうがないのだ。
生まれながらに愛を持たない、家族や恋人でさえ愛したことがない人間なんて、実際にいるのだろうか。小説は、絶対的な悪、グレーゾーンのない闇だけを抱え持つ悪人を描いていた。
あまりに理不尽な仕打ちを受けると、ある一線を境に、恨みに思う気持ちが薄れていく。犯罪心理学の世界には、そんな説があるのだと、寿人が教えてくれた。
達也との時間のなかで、そんな経験をさせられた圭輔は、ルポライターの卵、親友の寿人とともに、達也のなかに広がる闇に挑んでいく。
「面白すぎて止まらない!」の帯の文句通りでした。本文を借りるなら「胃の中に大量のバリウムを流しこまれた不快感」を味わえます。
さえさん、おはようございます!
何か本を読もうかなと思うときに、さえさんの書評を結構参考にしていますが、今回の本は読みたいような読みたくないような少し複雑な気分・・(苦笑)
「胃の中に大量のバリウムを流し込まれた不快感」っていうのもすごいですね。
バリウムを初めて飲んだときに感じた気持ち悪さを思い出してしまいました。
達也のような人間には絶対出会いたくないですね。
もし出会ってしまったら、私だったら逃げるかな・・・・
papermoonさん
おはようございます♩
この本は、よほどのイヤミス好きでなければ、おススメしません(笑)
主人公も、達也にはもうかかわりたくないと逃げようとしました。それでも執拗に追いかけてきて、大切なものを奪おうとするんです。自分は愛を知らないのに、他人が大切なものはちゃんとわかってるんですよ。怖いですよ~
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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