多治見に着いて、最初にバスで移動したときのこと。
窓の外は小雨が降っていて、知らない町を地図を頼りに歩くというのに雨かあ、と方向音痴のわたしはちょっぴり憂鬱になっていた。
そのとき不意に、ぱっと目の前が明るくなった。曲がりくねった前方の道、両側に黄色が広がっている。濃い黄色のレンギョウが満開だった。
あ、と思った。あ、『赤毛のアン』のあのシーン、と。
「ああ、クスバートさん、あたしたちが通って来たところは―、あの白いところは何ていうの?」とささやいた。
「そうさな、お前は並木道のことを言ってるんだろうがな」しばらく、とっくりと考えてからマシュウは答えた。「きれいなとこさね」
「きれい? あら、きれいなんてのはあれにぴったりする言葉じゃないわ。美しい、でもいけないし、どっちも言いたりないわ。ああ、すばらしかったわ―すばらしかったわ。想像をつけたすことのできないものなんて、これがはじめてよ」
孤児院からマリラとマシュウの家に行く途中、馬車に揺られながら真っ白い林檎の花が咲き乱れる並木道を通り、アンはそこを「歓喜の白路」と名づけた。
レンギョウの黄色い花にアンを思い出すとは、自分でも驚いた。中学高校の頃、何度も読み返したその本は、わたしのなかで、今ではすっかり色あせてしまっている。『赤毛のアン』に憧れを抱いたりするようなものは、胸のなかのどこを探してももうない。それなのに、と驚いたのだ。
驚きながら、気持ちが明るくなっていることにも気づく。雨のなか、迷って歩くのもまあいいかと、すでにおもしろがっている自分がいた。
「アン効果」とつぶやいて、苦笑する。ずっと昔に好きだった物語は、魅力を感じられなくなった今でもわたしのなかで息づいている。それはきっと、物語じゃなくともそうなのだろう。これまで経験してきたものすべてが、今の自分のなかには多かれ少なかれ存在しているのだ。
多治見では、知らなかったことをいくつか知った。
シデコブシというピンク色の花を咲かせるコブシの群生地だということ。(ピンクのコブシがあることさえ知らなかった)美濃焼とは焼き物の種類ではなく、美濃の地で焼かれた焼き物の総称で、志野、織部、瀬戸黒、黄瀬戸などのすべてが含まれるということ。酒を注がれたら呑み切るまで置くことのできない変形の杯を「可杯(べくはい)」ということ。多治見の酒、三千盛がすっきりとした辛口だということ。へちまが食べられること。「かつおいらず」という、鰹節をかけなくても美味しい菜っ葉があること、などなど。
そんなこんなも含め、この旅が『赤毛のアン』のワンシーンのように、これからの自分に多少なりとも影響を与えていく。いや、それは日々のすべてのことが当てはまるわけで。でもそれってちょっと素敵かも、なんて日常―いつもいつものごく普通の日々に戻り考えている。
帰りのバスから撮りました。ぼけぼけですが、きれいだったんです。
雨に濡れたシデコブシ。重力に抗わなずたらんとした感じが可愛い。
ミツバツツジも、そこここに咲いていました。
宿泊したホテル近くの白山神社。雨のなか何度も歩きました。
西通りで購入したサラダボウルor汁物の取り皿。伊藤豊さんの作品。
☆多治見の旅は、これでおしまい。読んでくださってありがとうございました。
「地味な小雨の中での多治見ひとり旅」立派なレポートが仕上りましたね。改めてそう思います。
「美濃焼を使おう条例」って面白いですね。「オリベストリート」なんてあるのですね。
「陶器って美味しく食べるための道具だよなあ」と。然り、です。
ちこり茶の右に置かれた伝票の姿がちょっとおしゃれです。
形も絵も違う小さな織部焼が200種もテーブルいっぱいに並んでいる。豆向付の大集合!壮観です。
400年前の色デザインそのままを縮小して作られた「豆向付」。山葵漬を盛りつけたさまを思い浮かべつつゆっくり選んだのですね。「私はこれ!」って思わず決めましたよ。
連翹が満開だったのですね。こちらは国道下の植え込みもとうに終わって、雪柳の白が揺れています。
白山神社何故か懐かしいです。
千利休の高弟だった織部がなぜこんな思い切った色や形のお茶碗(沓茶碗)を作ったのか、若い頃から理解に苦しみました。利休が長次郎に焼かせたこだわりの黒楽に夢中だったものですから。年を取るにつれて緑色の妖しさのようなものに惹かれてきました。
改めて日本人の美の感覚を思います。よく解らないままですが。
いい旅ができましたね。良かった良かったです。
Yasukoさん
コメントありがとうございます♩
多治見は本当にいいところで楽しい旅になりました。
「美濃焼を使おう条例」「オリベストリート」焼き物を楽しんでいることがよくわかりました。
ちこり茶の横の伝票、お洒落でしょう?
そういう小さなこと一つ一つがうれしかったです。
豆向付、お気に入りが見つかりましたか。よかったです。
織部焼、若い頃よりたしかに良さがわかってきたように思います。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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