手話教室で知った映画『ヒゲの校長』を観てきた。
ろう者の言語を守った真実の話
今から100年前。ろう者を守るために奔走した、教師たちがいた。
〈cast〉
高橋潔【尾中友哉】ヒゲの校長。
高橋醜子【日永貴子】ヒゲの校長を支えた妻。
寺田正一【KAZUKI】親に追い出され聾学校に身を寄せ、ヒゲの校長とともに暮らすようになる。
福島彦次郎【前田浩】聾者で、「大阪市立聾唖学校」教員。
大曽根源助【栗田一歩】「大阪市立聾唖学校」教員。アメリカへ渡り聾教育を学び、現在の指文字「大曽根式指文字」の原形を考案した。
〈story〉
家の事情で音楽家の夢をあきらめた高橋は、仙台から大阪へ。恩師の紹介で「大阪市立聾唖学校」の校長となる。そこで、家を追い出された耳の聞こえない子供、正一と出会う。言いたいことが言えずもどかしさから暴れる正一を、高橋は受け止め、寄り添い、手話を共に覚えていく。
しかし、時代は「口話法」へと流れ出した。
聞こえない子供たちは「口の動きを読み取り、発語できるよう訓練する」べきであるという。そのために手話は禁止すべきだという動きが、ほとんどの聾学校で採用されていった。
高橋は、「大阪市立聾唖学校」の教員たちと一丸となり、聾者から彼らの言語である「手話」を守るべく立ち上がる。
「口話法」が推進され、手話が禁止された時代があることは、知識として知っていた。けれど、「口話法」がなぜ広まっていったのかは知らなかった。
子供に「お父さん」「お母さん」と声で呼びかけてほしいという親の愛情が、ねじれた希望となり、過酷な訓練を要する「口話」を強いることになってしまったのだった。
あの子ができるのなら、きっとうちの子だって「お母さん」と呼べるはずだ。なぜできない。もっともっと訓練を。
そうして手話を禁じられた子供たちは、自分の気持ちを伝えることもできず、口話の訓練のみをさせられていった。
ヒゲの校長は、「心の成長を」「ひとりひとりに合った教育を」と訴え続けていく。「口話法」を否定してはいない。口話、手話、話しやすい方を使えばいい。両方を使う方法だってある。大切なのは、コミュニケーションなのだ、と。
ヒゲの校長の信念は、多様性を大切にしていこうと模索する現代社会にも通じている。
パンフレットです。ロケ地は、主に大阪や京都など。
芝居「父帰る(菊池寛)」を、手話劇で公演するシーンも、見どころです。
人物相関図。ヒゲの校長は、大きな愛で聾の子供たち包み込みましたが、口話法推進のきっかけとなったのも、聾の子供たちを持つ親の愛情からでした。
「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉めだすのであれば、それは弱くもろい社会である」(1979年の国際障害者年行動計画で謳われたフレーズ)
大阪ろう就労支援センター理事長前田浩(福島彦次郎役)インタビューより
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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