4月の句会。兼題は、「春惜しむ」「落花」。
「春惜しむ」は、春の時候の季語で、傍題に「惜春」などがある。
歳時記によっては、「行く春」「夏近し」も同じ括りの季語として扱っているものもあるらしく、「夏近し」「夏隣」で詠んできた人もいた。
雲遠き塔に上りて春惜しむ 飯田蛇笏
例句のように、広々と広がる風景を眺めて詠んだ句が多い季語だという。
春惜しむおんすがたこそとこしなへ 水原秋櫻子
この句は、奈良の阿弥陀如来像を詠んでいるそうだ。風景にしてもそうだが、遠く遥かなものを、また春をゆったりと惜しみ、詠まれる季語だと教わった。
「落花」は、春の植物の季語。「散る桜」「花吹雪」「飛花」「花散」「花屑」「花の塵」「花筏」などの傍題がある。
「花」といえば、俳句の世界では「桜」を指す。散り際の潔い桜は、古くからその風情が愛されてきた。
東大寺湯屋の空ゆく落花かな 宇佐見魚目
歴史ある東大寺、そこに広がる大空。そこに意外性のある湯屋を持ってきたことで味わいのある句になっている。
花散るや空に葬りのあるごとく 岩岡中世
「葬り」は「ほふり(ほうり)」と読み、葬儀のこと。散る桜と人の死をかけ、呆然と空を仰いでいるように感じる。
桜が散るさまは、いくつもの季語で数多く詠まれていて、そのひとつひとつの風情が違う。シチュエーションも、詠み手、受取手の感情も微妙に変わってくる。
句会もバリエーション豊かで、興味深かった。
わたしの句は、こちら。
飛花落花道ゆづりあふ杖と杖
「飛花落花」は、桜の花が風に吹かれて飛び散りながら落ちる様をいう。
吟行で、桜舞う土手の坂道で、杖の女性に道を譲った。わたしももうシニア。そう歳も離れていないだろうと思いながら、笑顔で会釈するその方を見送った。
そんな小さな出来事から、発想を飛ばし生まれた句だ。
「谷戸城址」の桜吹雪は、これまでに見たことのないような美しい光景で、心のなかにスーッとしみこんでいく何かを感じたのだった。
5月の兼題は、「夏シャツ」「柏餅」。はや、夏がやってくる。
句会仲間と3人で歩いた「谷戸城址」。吟行にいって、句会の「落花」が詠めました。
土手を、登ったり下りたりしました。
太く背の高い松の木も、たくさんありました。
「蕪の桜並木」。
飛花落花した花びらが、地面いっぱいに落ちていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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