久しぶりに奥田英朗の文庫本。5編から成る短編集だ。
「海の家」
49歳、小説家の浩二は、妻と大学生の息子と娘を置いて、家を出た。妻の不倫が発覚し、彼女は素直に謝ったが、どうにも腹の虫が治まらない。
神奈川の葉山の海辺に家を借り、ひと夏そこで過ごすことにした。
古民家ともいえる空き家で、秋には取り壊すと決まっていて格安だった。けれど、無人のはずの2階から物音がして。
「そこの路地ですれちがったとき、わたしには見えたの。あなたと並んで歩いているタケシ君が」
「ファイトクラブ」
46歳、家電メーカー勤務の邦彦は、まだ子供にも金がかかるし家のローンもあるからと、早期退職勧告に応じなかった。転勤を命じられた”追い出し部屋”は、工場の警備室。仕事はほぼない。同じような境遇の5人がそれぞれ暗い顔をしていたが、倉庫に放置されたボクシング用品で、なんとなくボクシングごっこをしていると、コーチが現れて。
ガードの下がった沢井の顔面にヒットした。沢井がよろける。
「そうだ! いいパンチだ!」
コーチに褒められ、気持ちが昴る。生まれて初めて、人を殴った――。
「占い師」
20代半ばでフリーアナウンサーの麻衣子は、プロ野球選手の恋人。今シーズン打率三割五分超えでブレイク中の彼とは、つきあって4年目になるが結婚という話にはならない。
悩みに悩んで紹介された占い師を訪ねると、同年代のため口を利く女が、言いたい放題言ってきたのだった。
「女子アナとかモデルとかに乗り換えられたら、わたし、惨め過ぎて死んじゃいそう」
「でもさあ、麻衣子もそうやってこれまで男を乗り換えて来たんだし、人のことは言えないんじゃないの?」
「コロナと潜水服」
35歳、会社員の康彦は、コロナ禍でリモートワークを余儀なくされた。妻は出勤しなくてはならず、保育園が休園中の5歳の海彦とふたりで過ごすことになる。
その息子には、どうやらコロナの危険を察知できる能力があると、わかった。
「おれ、コロナに感染したみたい」
「はあ? どうしてわかるの?」
「海彦が感知した。だから、おれに近寄らなかった」
「パンダに乗って」
55歳、広告会社社長の直樹は、自分へのご褒美にと2台目の車を買うことにした。昔憧れた初代フィアット・パンダだ。
東京から新潟の中古車店にとりに行くと、磨き上げられた赤いパンダが待っていた。走りも軽快で心地よかった。
パンダを発進させ、海沿いの道に戻ると、ナビが《音声案内を開始します》と言った。えっ? 直樹は絶句した。今回は、何もインプットしてないだろう。
《およそ三キロ、道なりです》
すべての話に、ファンタジー要素が含まれているのがこの短編集の特徴。
奥田英朗にしては、珍しい。
だが、幽霊とか超能力とか、そういうのを持ってくるとおもしろくなくなりがちなところを、おもしろく描いているのが奥田英朗マジックだ。
そこに重きを置くというよりは、それを受けとる側の人間性やドラマを描いているところに、ヒリヒリと切なさを感じたり、憤りを覚えたり、しょうがないよなあと笑えたり、つい涙したりしてしまった。
心のデトックスに、オススメの短編集です。
巻末にQRコードがついていて、読み込むとスポルファイのアプリで、小説に登場した曲を聴くことができました。
プレイリストです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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