北杜市武川町で行われた縄文時代の発掘中の遺跡「垈場(ぬたば)遺跡現地説明会」に参加した。
これまで、梅之木遺跡やいくつもの考古学博物館には何度も足を運んでいるが、発掘している最中の遺跡を訪ねるのは初めてだ。
「垈場遺跡」は、広かった。
縄文時代の住居跡や土器、土偶のほか、平安時代の土器なども発掘されている。
縄文土器や土偶の保存状態がよく、模様や表情がくっきりしていることに、まず驚かされた。
地層を見ながら、説明を聞く。
このラインから下は縄文時代以前で、その上に大量の砂が流れ込んできた白い層があり、それゆえ川の氾濫などの災害があったと推測されること。
保存状態のいい土器や土偶が発掘されたのは、その砂に守られるかのように深い土の下に眠り、何度も掘り起こされたりはしなかったから、とも考えられているらしい。
けれど、土器や土偶は必ずしもその時代の地層から発見されるわけではなく、混ざり合った状態が多いそうだ。
発掘現場に携わる人たちは、そんな状態の遺跡現場から、縄文人の足跡を見出そうと気の遠くなる作業をしているのだと、あらためて知ることとなった。
「垈場遺跡」発掘現場です。南アルプス連峰をのぞむ場所でした。
竪穴式住居跡。
住居跡から、土器が発掘された場所を記録していくんですね。ここが特別多いわけではなく、土器は住居跡からたくさん出てくるとか。
小さめの石が環状型に置かれた、珍しい遺跡も見つかったそうです。奥に見える地層による年代分けの説明がおもしろかった。
見つかった土偶を見ることができました。ほんの一部だそうです。
保存状態がよく、模様もくっきり。
「完形」で発掘された座産スタイルの妊婦土偶。新聞にも写真が掲載されていました。
土器も様々なもの、また年代が違うものなどが発掘されていました。
石器や黒曜石の原石。長野県のいくつかの地域から人の手によって運び込まれたと考えられているそうです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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