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山梨県立博物館「富士川水運の300年」

山梨県立博物館の企画展「富士川水運の300年」を、観に行った。

長野県から山梨を通り、静岡県まで流れている一級河川「富士川」は、17世紀初頭、江戸・大坂へ年貢米を輸送していたという。

「富士川水運」が物流の主要ルートとなっていた20世紀前半までの300年の歩みを追った展覧会だ。

現富士川町にあった、三河岸の繁栄(鰍沢河岸・黒沢河岸・青柳河岸)など、昔の絵地図や墨絵などが展示されていて、おもしろかった。

年貢は、幕府の管轄となった河岸まで運べばいいということになり、人々はずいぶんと助かったようだ。それこそが「富士川水運」が繁栄した所以だといわれているらしい。

 

カルチャーショックは多々あったが、なかでも最も驚かされたのは、川を下るのにも危険と隣り合わせだというのに、蒸気船でもない木の船で、川を上っていたということだ。

竹の棒で川底を突くようにして漕ぎ、それでも上れない場所は、船にロープをかけて、川沿いで上流へと歩きながらロープを引っ張っている姿が描かれていた。

便利になった今のわたしたちから見ると、それは限りなく不可能に近い方法だ。

「ムリムリ」のひと言で、一笑に伏して終わりである。

年貢米などが清水湊へ下り、塩や海産物が上流へ運ばれた。

それをやろうと思った人にも、実際に船を漕いでいた人たちにも、不可能だという意識はなかったのだろうか。

 

ラスト近くの部屋にあった「富士川下り疑似体験」では、川の上を進みながら、ゆったりとタイムスリップしているような不思議な気分になった。

ほんとうにタイムスリップしたら、きっと生きていけないだろうな。

入口まえのディスプレイだけは、写真撮影OKでした。

こんな木の船を手漕ぎで操って、川を下ったり上ったりしたんですね。

富士川の河川疎通に貢献した角倉了以(すみのくらりょうい)像は、太い縄を巻いたその上に座っているのが印象的でした。

この企画展は、5月6日までです。

富士川の写真を探しましたが、釜無川しか在りませんでした。富士川へと流れ込む支流になります。

写真は、双田橋の記事をかいたときのものです。

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PROFILE

プロフィール
水月

随筆屋。

Webライター。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。



『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。

 

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