5年ほど前に読んだ本を、再び開いた。
繰り返し読んでもいいタイプの本なのに、5年も経ってしまったことに驚く。
この時期にぴったりのカラーの挿絵付きの短編だ。
5年前にかいた感想コラムはこちら【すべての人が持っているべきもの「思い出」】
7歳の少年〈僕〉と60歳過ぎの女性は、無二の親友だ。
ふたりは遠いいとこ同士で、親戚の家でともに暮らしている。
女性は〈僕〉を「バディー」と、〈僕〉は「親友」と呼ぶ。ふたりのもうひとりの親友は、ちび犬クィーニー。彼らはタッグを組み、冷たい親戚たちをものともせず、楽しく暮らしている。お金はないけれど。
以前読んだときには、彼らは「クリスマスを生活の真ん中に置き1年を過ごしている」ように見えた。
けれど読み返し、それは違うのだと、今度は思った。
たしかに彼らは、クリスマスに大好きな人たちにプレゼントするフルーツケーキを焼くために、春も夏も貯金したり準備したりと忙しい。
けれどそれらのことごとは、そのときそのときにまたとない愉しさをもたらしてくれていた。
ラスト近く、親友は気づく。神様は死んでやっとお目にかかることができるわけではないと。
――彼女の手はぐるぐると輪を描く。雲や凧や草や、骨を埋めた地面を前脚でかいているクィーニーなんかを残らず指し示すかのように――「私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ」
親友は、バディーと過ごしている今この時の素晴らしさに気づいたのだった。
今というときは、つかみどころがない。
気づいたときには、消えてしまっている。
もしかしたら、妖精やサンタクロースのような目には見えないものなのかも知れない、と思うときさえある。
けれどそれは、いつだってたしかにそこにある。
未来ばかりを考えず、過去を振り返っていないで、〈今〉をつかまえてみたら?
そんなメッセージをもらったような気がした。
本の山から、5年ぶりに探し当てました。
フルーツケーキを焼くためのウィスキーを買いに行ったハハ・ジョーンズさんのお店。
〈僕〉からの手紙を読む親友とちび犬クィーニー。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。