久しぶりに手に取った、村上春樹。8編から成る短編集だ。
「石のまくらに」
一度限り一夜を共にした、短歌を詠む女は、いう。
「人を好きになるというのはね、医療保険のきかない精神の病にかかったみたいなものなの」
「クリーム」
ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかない筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。
理不尽なことが起こった〈ぼく〉に、老人はいう。大切なものは、”クリーム”なのだと。
自分の頭で考えて、わからないことをわかるようにしたとき、それは"クリーム”になるのだと。
「人生のいちばん大事なエッセンス――それが『クレム・ド・ラ・クレム』なんや」
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
気楽なジョークのつもりで架空のLPレコードについての記事をかいた〈僕〉は、やがて、架空であるはずのLPレコードに出会うことになる。
「ウィズ・ザ・ビートルズ with the Beatles」
高校時代〈僕〉は、ビートルズのLPレコードを大事そうに抱えた女の子を見かけた。その出来事が〈僕〉の核になっていて、大学時代、初めてつきあった女性サヨコとも別れることになる。
〈僕〉は一度だけ、サヨコの兄と話をした。サヨコの家に約束通り迎えに行ったのに、彼女はいなかった。
彼は、知らぬ間に数時間の記憶を損なう病気なのだと、話し始めるのだった。
「ヤクルト・スワローズ詩集」
村上春樹がデビュー当時、自費出版で刷ったというタイトル通りの詩集について。
「謝肉祭(carnival)」
半年間、〈僕〉はとても醜い女性と交流していた。彼女は、シューマンの「謝肉祭」同好会(ふたりだけ)の仲間だった。
「品川猿の告白」
『東京奇譚集』に収められた「品川猿」の続編。品川生まれの人の言葉をしゃべる猿は、群馬の鄙びた温泉宿で〈僕〉の背中を流すのだった。
「一人称単数」
いつもは袖を通さないスーツを着た〈私〉は、いつもは行かないバーのカウンターでひとり読書をしていたが、いつものようには身が入らない。
突然話しかけてきた見知らぬ女性は、どうやら〈私〉に悪意を抱いているようだった。
「思い当たることはあるはずよ。よくよく考えてごらんなさい。三年前に、どこかの水辺であったことを。そこでご自分がどんなひどいことを、おぞましいことをなさったかを」
〈私〉には、まったく身に覚えのないことだった。
もしあのとき、違う道を選んでいたら、自分は今どうしているだろう。
ふと、そんなことをつらつらと考えてしまう小説群だった。
私のこれまでの人生には――たいていの人の人生がおそらくそうであるように――いくつかの大事な分岐点があった。右と左、どちらにでも行くことができた。そして私はそのたびに右を選んだり、左を選んだりした。(中略)そして私は今ここにいる。
その選択は、これからも続いていく。
表紙の女性は、どの物語の登場人物でしょうか。ビートルズのLPレコードが茂みに忘れ去られているかのように見えますね。
旅先の本屋で手に取った文庫本です。奇しくも「I'm going left」(うつわ)を抱えていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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