森博嗣なのに、ミステリーじゃない。
養老孟司の解説には、「森さんの自伝的小説ともいえる」とある。
破壊力学の分野で、研究に没頭し続けた「喜嶋(きしま)先生」の部屋でまた、研究に没頭し続けた〈僕〉橋場君の物語だ。
喜嶋先生も橋場君も、世間一般的な人から見ると”変人”に部類されるだろう。
頭のなかは、破壊力学の研究でいっぱいだ。
時間が許される限り、研究したい。食べることも眠ることも二の次。ましてや恋愛なんて。けれど、そんな橋場君を清水スピカは好きになってしまった。
「私の気持ちって、わからないよね?」
思ったとおりの言葉だった。なにか言いたいことがあるのは、もう理解している。だから、こちらは言葉を待っているのだ。
それが、橋場君には伝わらない。
「もう少し話してくれた方が良いと思うんだけれど」僕は言った。とにかく、情報量が足りない。
スピカは、OLで東京にいる。地方の大学にいる橋場君にわざわざ会いに来たのだ。
「私がね、どれくらい決死の覚悟で、今日ここへ来たのか、知りたくない?」
「知りたいような、知りたくないような」
「私、今日は東京へは帰らないんだよ」
「あ、ホテルを取ったの?」
鈍感、というのとはちょっと違う。情報量が満たされたところで、彼はようやく理解することができるのである。
彼らの周りの3人の女性にスポットを当てながら、喜嶋先生と橋場君の研究の日々が淡々と描かれていく。スピカのほか、喜嶋先生に熱を上げている(らしい)同じ部屋で研究する櫻居さん。計算センタの優秀で美しいマドンナ沢村さん。
違う方向を向いた人に心を寄り添わせることは、やはり辛そうだ。
だからといって、研究者だって一生独りでいることは難しい。喜嶋先生は、沢村さんに夢中だったし、スピカは橋場君のもとを去ろうとはしなかった。
思考に没頭しているうちに、ほんのりと、おや、こちらになにかありそうだ、あの辺で、なんか光っているものがあるぞ、あれ、これはもしかして、ずっとまえに見たことがある、あれに似ていないか、おかしい、こんなふうになるはずはないんだ、どうしてこんなふうになる? これが本当に成り立つなら、もしかして、今まで正しいと思っていたなにかが違っているのではないか……、と次々に、言葉にならない疑問、不安が立ち現れる。
橋場君の頭のなかを覗いたような一節だ。
ずっと同じ方向を向き、ひとつの道を歩き続けられる人は、強い。
ブックオフで、帯を見て買いました。
気持ちが疲れているとき
人生に迷っているとき
心を整えてくれる小説
帯の”ピュア”という言葉が、読み終えて胸に沁みました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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