夫が買って先に読んだ、朝井リョウの『正欲』。
自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――
裏表紙の紹介文だ。
そこには、「多様性」の大切さを声高に謳う世に、共感できない人たちがいた。
彼らは、人間に対して性欲を持たない。同性愛でも、小児性愛でもない。人が知るはずもない、だから”多様性”のどの場所にも括られようもない。そんな性欲を抱えて生きていた。
小説は、何人かの視点でランダムに語られる。
元号が令和に変わる1年半前からスタートし、約2年間、登場人物たちを追う。
40代の検事、寺井啓喜(ひろき)は、5年生の息子の不登校に苛立っていた。
ルートからも外れてしまう人は大勢いて、その人たちと犯罪の距離はとても近いものになる。(中略)だから啓喜は、泰希に学校に戻ってほしかった。
やがて息子の泰希は、学校は必要ないと言い出し、同じく不登校の友達とYouTube配信に没頭するようになる。
大学1年の神戸(かんべ)八重子は、器量のよくない自分にコンプレックスを抱くと共に、男性への嫌悪感が大きく、ほかの女子たちのように恋をすることができずにいる。
怖い。気持ち悪い。八重子は壁一枚挟んだ向こう側にいる兄の存在を忘れようとする。
そんな八重子が、初めて嫌悪を抱かなかったのが、同じ大学の諸橋大也(だいや)だった。
アラサーの桐生夏月は、実家で暮らしながら寝具販売店で働く毎日。両親は、夏月が恋人すら作らないことを、半ばあきらめつつも気づかう。
「今は結婚して子ども産んでってだけが幸せじゃないもんね。ほんとに時代変わったわ」
人との関わりを避けてきた夏月だったが、成り行きから行かざるを得なかった中学時代の同窓会で佐々木佳道と再会した。
中学時代に起きたある事件が、言葉も交わさないふたりを結びつけていた。
警察施設で水を出しっぱなしにして蛇口を盗んだ男、藤原悟は、こう供述したという。
「水を出しっぱなしにするのがうれしかった」
社会科の授業で取り上げられたその事件に、クラスじゅうが笑った。
なんよそれ。意味わからん。まじウケる。でもキチガイは迷惑じゃなあ。
笑わなかったのは、夏月と佳道だけだった。
――この世で生きていくために、手を組みませんか。
小説は、多様な「性欲」の裏側で、自分が「正しいと思いたいという欲」を描いていた。
多数派の位置にいて安心したいというのも「正欲」。
あいつらは普通じゃないと糾弾するのも「正欲」から。
自分は多様性を受け入れていると思うのも「正欲」が根にある。
読みながら、胸にいくつもの波紋が広がっていった。
表紙の写真の鴨のように、一気に落ちていくのを身体じゅうに感じつつ、一気読み必至の長編小説。
秋に映画化されるんですね。稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香ほか。
文庫カバー写真は、菱沼勇夫「let me out」とありました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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