旅も終盤。ふたたびウンブリアへ向かった。目指すは、アッシジ。
旅行前、映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』を観て予習した。
アッシジに生まれた聖人フランチェスコの半生を描いた青春映画だ。
のちにすべての物欲を捨て去った清貧のなかにこそ愛と平和があると説いた聖フランチェスコは、両親のまえで服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になって別れを告げる。
「与えていただいたものは、すべてお返しします」と。
また、修道会を承認してもらうためローマ法王の下へ行ったときには、こう問われる。
「息子よ、お前の尊い精神はよくわかるが、一切の所有を認めないというのは厳し過ぎるのではないか?」
聖フランチェスコは、答えた。
「何かを所有すれば、それを守る力が必要になるでしょう」
所有すること、つまり物欲は争いを生むというのだ。
縄文時代には戦争がなかった、と聞いたことを思い出した。
土地を所有することのなかった、1頭の猪を集落で分け合った時代だ。
今この何だって手に入る便利な時代に、物欲を手放すことは、限りなく難しい。
それでも、戦争をなくすことはできないだろうかと、思わずにはいられない。
真っ白い石で創られた「聖フランチェスコ大聖堂」や、聖フランチェスコが神の声を聞き、ひとりで石を積んで修復した古い礼拝堂が残る「サン・ダミアーノ修道院」、聖フランチェスコに深く共鳴した聖女キアラを祀る「サンタ・キアラ教会」を見て歩き、そんなことを思った。
「聖フランチェスコ大聖堂」です。3日目の朝、ようやく青空の下で見ることができました。
バス停に下る坂道から見上げて。
出征したものの戦わずして帰還したフランチェスコの像が、大聖堂の前でうなだれています。
夕刻の「サンタ・キアラ教会」。「聖サンフランチェスコ大聖堂」ととてもよく似ていますが、薄い薔薇色の石と白い石がストライプ模様になっています。
3つの大きなアーチが印象的。
街から少し離れた場所にある「サン・ダミアーノ修道院」です。聖フランチェスコが神の声を聞き、ひとりで石を積んで修復した古い礼拝堂があります。
「ヌオーヴァ教会」まえに置かれた「聖フランチェスコの衣服を手にする両親の像」です。
「サン・ルフィーノ大聖堂」。
入口を入った左に「聖フランチェスコの像」、右に「聖女キアラの像」が。ふたりが洗礼を受けた教会だそうです。
「聖フランチェスコの像」。
「聖女キアラの像」。
夜、「ロッカ・マッジョーレ大要塞」は、イタリアカラーにライトアップされていました。
お~、アッシジ!!
懐かしくて思わず私も昔のアルバムを引っ張り出して写真見ましたよ。
19年も前だったわ。
ブログの2枚目の聖サンフランチェスコ大聖堂の前の広場で、写真撮っていましたよ。
日本人の滝神父さんっていう人がいらっしゃって、教会の中を案内してもらった時、
なぜか感動の涙を流したのを覚えています。
また行きたいけれど、もう叶わないだろうな~
そんなこんなを思い出しながら、懐かしい気持ちにさせてもらえました。
さえさん、ありがとう~(^^)/
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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