4月の句会は、「ふらここ」「桜」が兼題。
春の季語のなかでももっともスタンダードな「桜」と、遊具「ふらここ・ぶらんこ・鞦韆(しゅうせん)」。3月に続いて真逆のセレクトで楽しい。
「ふらここ・ぶらんこ・鞦韆(しゅうせん)」を歳時記で見てみよう。
鞦韆は元々、古代中国の春を呼ぶ行事のひとつで、晴れ着を着た男女が一緒に乗って漕ぎあったという。当時は、二十四節気の「清明」の遊びだったことから、春の季語になった。
中国の行事が、俳句に取り入れられていることにまず驚いた。だが、こう言われると納得もする。
現在は年中遊べる遊具だが、子どもが春風に向かい、軽やかに漕ぐ様子が春らしい。
漕ぐ様子が、空を舞う仙人のように見えるからだろうか。「半仙戯(はんせんぎ)」ともいうそうだ。
例句は、こちら。
ふらここの会釈こぼるるや高みより 炭太祇
中七が字余りになっているこの句は、「ふらここ」という季語の自由さを詠もうと、わざとリズムを崩しているそうだ。この季語には、そういう自由さ、不安定さを感じ、破調を用いた俳句が多く見られるという。おもしろい。
破調は見られないが破天荒な雰囲気を持つ、季語「ふらここ」のなかでも代表となるのはこの句。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし 三橋鷹女
「桜」という季語には、バリエーション(子季語・関連季語)が多すぎるほどある。
『歳時記・春』によれば、子季語だけでも「朝桜」「夕桜」「夜桜」「老桜」「里桜」「楊貴妃桜」「薄墨桜」とあった。
単に桜といえばすでに花が咲いている状態をいう。
「桜」だけで、「桜が咲いている」と詠めるわけである。
命二つの中に生きたる桜かな 芭蕉
例句は、20年を経て旧友に再開した喜びを詠んだといわれている。
わたしの句は、こちら。
花の夜きのふみし夢思ひ出し
「花の夜」(花の咲き満ちている夜)という季語を見つけて、詠んだ。
「花」もまた「桜」の関連季語だ。
桜の花を見ていたら、ふっと忘れていた夢を思い出した。ただそれだけの句。『遠い唇』の「しりとり」を読み「みし」というのは「みた」といい意味だと知り、使ってみたかった。
選んでくれた方はいなかったが、叙情的な内容と講評をいただいた。
詠まれた36句を評していくなかで、「具体的な描写を」「細かく説明しすぎない」「盛り込みすぎない」「事実だけをかき想像をかきたてる方法もある」「《けり》を《たる》に替えるだけでその瞬間を表すことができる」「季語が動くか考える(あくまで季語は主役。ほかの季語に替えられない句を)」
などなど。初心者だけに吸収するものも大きかった。
5月の句会、兼題は「更衣(ころもがえ)」「新茶」。
早、夏の季語である。
「慈雲寺」の糸桜。
「長坂池」の桜。
「武田神社」の桜。
「舞鶴城公園」の桜。
「わに塚」の桜。
糸桜てきれいですね。
うっとりして拝見しました。
いい写真ばかり、すばらしいです。
ふらここ、乗りたい、こぎたい!
でも乗れるかな~。
すぐ近所にあるんです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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