『寡黙な死骸淫らな弔い』、『完璧な病室』に続き、小川洋子を読んでいる。
9つの不思議な物語が収められた短編集。
「曲芸と野球」
小学生の〈僕〉は、バッターボックスに立っても、どうしても三塁側に打球を飛ばすことができなかった。河川敷の原っぱのライト側では、いつも曲芸師が椅子を積み上げてその上で逆立ちをする練習に励んでいたからだ。
「教授宅の留守番」
火事で焼け出された大学の食堂で働くD子は、海外出張のあいだ教授宅に住まわせてもらうことになった。見舞いに行った〈私〉を襲ったのは、突然湧いた教授の受賞で祝いに届く花や電報やデコレーションケーキの嵐だった。
「イービーのかなわぬ望み」
EBは、中華料理屋のエレベーターで産み落とされ、エレベーターで育ったエレベーターボーイだ。〈私〉は彼に恋をする。
私たちはゼロ階から四階まで何度も上り下りする。たった二人きりで、地上でも屋上でもない、空中をさ迷う。誰にも邪魔できない、時間の流れも届かない、空中の小部屋に閉じこもり、守られている。ただイービーだけが寄り添ってくれている。
だが、やがてビルが取り壊されることになって。
「お探しの物件」
物件が求める住人を探すこと、それが我々の役目なのです。
人間チェスをするためだけのチェス屋敷。角がひとつもない丸い家。開けても開けてもドアが続くマトリョーシカハウスなどなど。
「涙売り」
〈私〉の涙は、楽器の音を素晴らしい音色にする。高値で買うと持ちかける男から逃げた〈私〉は、身体の関節を鳴らす”関節カスタネット”に恋をする。
最上級の痛みの涙を流すため、私はどんな犠牲でも払う決心をしました。涙腺と涙嚢だけを携えて放浪している私に、払うことの許された犠牲を、すべて払う決心です。最初に私は、左足の薬指を切り落とすことにしました。
「パラソルチョコレート」
ベビーシッターの家へ行くのが、小学生になった〈私〉も弟も好きだった。立ち入り禁止の書斎以外は、どこで何をしても叱られることがない大らかな性格だったからだ。だがある日〈私〉はシッター宅で、自分の裏側に存在しているという老人と出会う。
「ラ・ヴェール嬢」
指圧師の〈私〉は、老女に”ラ・ヴェール嬢”とあだ名をつけていた。足裏を指圧するきっちり1時間、彼女は、ある男と交わした肉欲と隠微の追求について語るのだった。
「銀山の狩猟小屋」
狩猟小屋を買わないかと勧められた女流小説家が、秘書とふたり山奥の小屋へ行くと、隣りに住むという小男が待ち受けていた。サンバカツギという、撃っても撃ってもしぶとく生き続ける獣の炙り焼きを食わせるという。
「再試合」
〈私〉は、ほかの女子たちとつるむことなく、ひとりひっそりとレフトの彼を応援していた。勉強しているように見せかけ単語カードに彼の美点をかきこんでいく。
バッターボックスに向かう足取り、目元を隠すひさしの影、タイミングをはかる腰の動き、打球を見上げる横顔、ベースの上で土を払う仕草、グローブをはめる瞬間、風を読む瞳、しなる肩……。
やがて初出場で甲子園の決勝まで進んだ彼らは、延長15回で再試合となる。次の日も、また次の日も、点は入ることなく再試合が続いていった。
”今”は、永遠には続かない。
曲芸師はやがて椅子の上で逆立ちすることができなくなり、イービーはエレベーターから出て行かなくてはならない。パラソルチョコレートを食べていた小学生も大人になるし、ラ・ヴェール嬢の命はついえ、再試合だってやがて終わるはずだ。
だけど、いや。だからこそ、長い長い夜をさ迷う彼らは、大切なものにこだわり続けることで、少しでも長く”今”や”ここ”にとどまろうとしていた。
表紙絵は、磯良一。9つの扉にもイラストがあり、それぞれの物語の雰囲気を楽しめます。帯にあるような涙は一度もこぼれなかったけれど、「感情の渦」というワードは当てはまる気がしました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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