小川洋子最初期の秀作といわれる4編の中編から成る小説集。
「完璧な病室」
〈わたし〉は、21歳の弟を病気で亡くした。
晩秋のしなやかな風が、レースのカーテンをすりぬけて、弟のベッドをなでている。弟は腰の後ろに羽まくらをあてて上半身を起こし、わたしに横顔を見せている。わたしは、ベッドの脇のソファーにゆったりと腰掛けて、弟の横顔を見ている。点滴のしずくの音が聞こえそうなくらい静かな午後だ。
弟はいつでも、この完璧な土曜日のなかにいる。
弟が病室で死を迎えるまでの18ヶ月を、姉の視点で静かに描く。
「わたしは、弟と、どんな別れ方をしなくちゃいけないんでしょうか」
しかし担当したS医師は、両親が経営する孤児院でひとり生まれ育ったという。姉弟のつながりを理解するのはあまりにかけ離れた境遇だった。
「お母さん殺されたって、前に言ってましたよねえ」
「ええ。銀行強盗に猟銃で。でもその時、わたしほっとしたんです。もうこれで、自分の育った家がなくなったんだって。母親がめちゃくちゃに混乱させてた生活に、帰らなくてもいいんだって」
精神を病んだ母親と、妻から逃げ出した父親。そこから開放された姉弟は、ただ穏やかな時間を求めていたのかもしれない。
〈わたし〉が、起き上がれなくなった弟に窓の外の雪を説明するシーンが好きだった。
「白い薔薇の花弁が何枚も何枚も落ちてくる感じよ」
「ポプラの種が下から舞い上がってくるみたい」
「今日は小麦粉みたいな粉雪よ。この中を歩いたら、むせてしまいそう」
「揚羽蝶が壊れる時」
大学生の奈々子は、たったひとりの育ての親だった祖母を施設に入れた。認知症が進み”正常”ではなくなった祖母。しかし奈々子は混乱していた。
痴呆症の彼女が抜けた後に残った、わたし一人の現実が、本当に正常なものなんだろうかという疑い。わたしの方が、異常者としてあの家に閉じ込められたんじゃないかという不安。
奈々子のなかには、もうひとつの不安があった。恋人ミコトの子を、どうやら身籠もっているようなのだ。母親に捨てられ祖母に育てられた自分のなかに、胎児がいるかもしれない。
わたしの中の異常は、どうしてわたしから区別することができないのだろう。何故こんなにも重苦しく、下腹部に吸い付いてくるのだろう。そしてミコトは、揚羽蝶の羽音に紛れ込んだまま、決してわたしの内部を見ようとしない。
「冷めない紅茶」
事故死した中学のときの同級生の通夜で、〈わたし〉はK君と再会した。
同棲中のサトウに対する冷めた気持ちのなかで、K君からの連絡を待つ。
お通夜の晩K君と別れてから、電話は特別な意味深い動物のようにわたしの前に横たわっていた。受話器の曲線や、プッシュボタンの溝や、しなやかにのびるコードが、エロティックな動物の姿態を連想させた。
やがて〈わたし〉は、K君の家に遊びに行く。そこには、中学の図書館で司書をしていた女性がいた。K君は彼女と暮らしていた。
「僕はそこが学校であることや、自分がほんの十五歳の子供であることや、彼女がうんと年上の大人であることや、そんな現実的なことを全部きれいに忘れることができた」
K君は、静かに語る。
けれど〈わたし〉があるきっかけで中学を訪ねると、意外な話を聞かされるのだった。
「ダイヴィング・プール」
孤児院で生まれ育った女子高生の〈わたし〉は、ともに暮らす孤児で同級生の純がダイヴィングするのを見るのが好きだ。
彼が時間の一点をつかむために両手を振り上げてから水の中に消えるまでの間、わたしがどんなに気持ちよさを感じているか、自分で自分に説明したくなる時がある。でも、いつもうまく説明できない。言葉の届かないひそやかな時間の谷間を、彼は落ちていくからだろうか。
〈わたし〉の心は、純に対する気持ちとは相反して、歪んだ部分を持っていた。孤児である赤ん坊を泣かせたいという気持ちが湧き上がってしまう。
大人になるとみんな、不安や孤独や怖さや哀しさの隠し場所をどこかに見つけるのに、子供はそれらを取り繕ったりしないで、全部泣き声にしてまき散らす。わたしはその涙をゆっくりなめたいと思う。人の心のじくじくと膿んでもろくなった所を、舌でこすってもっと傷つけたいと思う。
〈わたし〉は、孤児院を経営する両親を憎み、ここにいる自分を否定したがっていた。
心の奥底に潜む”ほんとうの自分”を見つめもがく、女性たちの物語。
「揚羽蝶が壊れる時」は、海燕新人文学賞受賞作だそうです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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