読み終えてから、WOWOWのオンデマンドでドラマを楽しんでいる。
『贖罪』(双葉文庫)のドラマは、小説の通り5人の女性の物語を5回に分けて作られていた。小説と比較するというよりは、それぞれの女優たちの迫力のある演技に圧倒されている。監督は黒沢清。文庫の解説は、彼のインタビューだった。それもあり、観てみたくなったのだ。
その黒沢清監督が、インタビューでこう言っている。
小学校の先生になったことも含め、真紀だけがかつての事件に向き合い続けたのだと思います。他の三人は、違う要素が絡んできていることを無理やり贖罪に置き換えている。そこは大きな違いです。
個人的にも、もっとも印象に残ったのが真紀の物語『PTA臨時総会』だった。
それは真紀の物語でありながら、糾弾するのが大好きな保護者たちをも描いていた。プールにナイフを持って入ってきた男によって男子生徒が切りつけられ、ベテラン男性教師はプールのなかに隠れて動かず、真紀だけが男に立ち向かった。一旦は英雄視された真紀だが、犯人が死亡。無責任だと糾弾された男性教師が自殺。糾弾の矛先は、真紀に向かった。
人殺しの教師などくびにしろ。みなの前で土下座して謝罪をさせろ。責任をとれ。――ということで、本日のPTA臨時総会が開かれ、わたしが直接壇上に上がっているのですが、このように責められなければならないのは、児童が殺されていなかったからでしょうか。
ふらふらと散歩にやってきた病気のか弱い少年を、意味もなく、わたしが蹴り殺したとでも思われているのでしょうか。
四、五人殺されるのを待った方がよかったのでしょうか。臆病者の同僚のように、プールの中に突き飛ばされたフリをして、子どもたちが襲われているのを黙って見ていればよかったのでしょうか。それとも、男と一緒にわたしも死ねば満足していただけたのでしょうか。
――あなたたちの子どもなど、助けなければよかった。
誰かに責任を押しつけたがる人がいる。糾弾することをおもしろがる人がいる。誹謗中傷することに喜びさえ見いだす人がいる。
ドラマのなかでは、教頭自らが教師ひとりひとりに対して、ネット上に父兄のフリをして誹謗中傷のかきこみをしていた。
不思議な心理だ。とても理解できない。だが少数ではない人たちがそういう心理を持ち、ネット上などで匿名のかきこみをしているらしい。
誰かより優位に立ちたい。立派に見られたい。自分を正当化したい。だけど自信がない。自分が攻撃されるのは怖い。だから匿名で誰かを攻撃する。あるいは大勢で誰かひとりを攻撃する。
エミリの事件以降、常に自分にきびしく生きることを貫いてきた真紀。自らの弱さから誰かを攻撃することへと走る保護者たちに向けた正論は、小気味よい。
小説とドラマ。ストーリー細部が違っている部分が多かったです。
だけどやはり生身の人間である女優たちの演技の存在が、もっとも違う部分だと実感するドラマに仕上がっていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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