きのうの手話サークルは人数が少なかったせいか、テキスト中心ではなく、それぞれが考えたことを発表する形になった。
テキストの内容が「一昨日の雪にはビックリ」だったから、それぞれが雪道でのアクシデントを話す流れになった。
車が横転したり、側溝に落ちたり、滑ったけれどもきわどいところで難を逃れたり。山梨で暮らしているだけあって、どの経験談もおもしろかった。
だけど、これを手話で話すのが、難しい。
「娘が高校の頃、駅まで送り迎えをしてて、急な坂道を下って登って、朝早いから道が凍っててつるんと滑るだけでも怖いのに、上り坂の途中で前を走ってる車がスピンしちゃって、娘と一緒に「キャー!」と悲鳴を上げるなかその車は壁に衝突。スピードが出ていたわけじゃなかったからケガもしていないし車も動くと判断して、そのまま横をスーッと通って、ぶじ娘を駅に送り届けたんだよ」
と、話したいのに、難しい表現はカットして話すことになる。
「娘を駅まで送っていく。坂道を下って登って、朝早くて滑る。怖い。上り坂で前の車がスピンして壁に追突。わたしは、そのまま横を通り過ぎた」
わかるようでわからないようなことになる。
ここでいちばん誤解されたくないのは、「スピードが出ていたわけじゃなかったからケガもしていないし車も動くと判断して」というところ。ここが抜けていると事故って困ってる車を放って先を急いだというようにも聞こえなくもない。それに、駅まで行ってまた戻る道でもあり、あとで通ったときに困っているようだったら声をかけてもいいし、との計算もあった。
考えていることを正確に伝えることって、難しい。いまだ語彙の少ない手話はもちろんそうだが、日本語でもきちんと伝えられずに誤解を招くことが多々ある。
言い訳が苦手なわたしは、言葉が足りなくなることが多い。だが歳を重ね、言い訳することが思いやりになる場面も何度か経験した。言葉は少なすぎても、多すぎても誤解を生むのだ。それを考えると、手話を言語とする聴覚障害を持つ人と健常者との会話に誤解が生じやすいこともわかってくる。
1年過ごしてきた手話サークルでの勉強を通じて学ぶことは、手話だけではないのだと最近よく考える。
きのうの朝、定点観測地点から観た八ヶ岳です。
畑の雪はすぐに溶けましたが、八ヶ岳は冬の顔に逆戻り。
山の上も、三寒四温を繰り返していくんですね。
さえさん、こんばんは!
私も雪道で危なかったことがあります。
靴底が革のブーツを履いていて凍った道で豪快に転んだことがあります。
それを見ていた人が「まるでマンガでバナナの皮を踏みつけて滑って転んだ人みたいだった」と言ってました。
その時以来、靴底がゴムのブーツを選んでいます。
考えていることを説明する難しさ、わかります。
自分ではわかっていることを聞いている他人がわかるように克明に説明するのって本当に難しいですよね。
papermoonさん
おはようございます♩
そこが皮のブーツ、滑りますよね~ケガはなかったんですか?
バナナの皮・・・ひどい( ;∀;)
好きな映画に『あなたが寝てる間に』というクリスマス時期のラブコメがあるんですが、雪の上でふたりで転ぶシーンがやっぱり、バナナ的に派手で、でもとっても素敵だったのを思い出しました♡
そうそう。自分ではわかってることを、でもほかの人がわかるように伝えるのって、ほんとうに難しいですよね。自分がわかっているから余計に、伝え足りない部分が出てくるんでしょうね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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