この小説は、小川洋子の『ことり』以来の長編だという。
〈私〉は、幼稚園に住んでいる。建物を改装したわけではなく、古びた、すでに幼稚園ではなくなったそのままの建物で暮らしている。
子どもの気配はない。
何もかもが小さな作りになっているその建物で、〈私〉はだんだんに建物に馴染んでいったという。
もしかしたら少しずつ、体がこの家に合うよう、縮小しているかもしれない。
子どもがいない小さな町で〈私〉は、番人とも呼ばれている。
仕事のひとつは、バリトンさんの恋人からの手紙を解読すること。
恋人が綴る文字は、判読に難いほどに小さくそして模様を描き文字と文字も絡み合っている。
バリトンさんは、郷土史資料館の元学芸員で、資料館が閉鎖された翌朝から、歌うことでしか言葉を発せられなくなり、バリトンさんと呼ばれるようになった。
バリトンさんは私の指差す方に黙って目をやった。遠慮してできるだけ口を開かないようにしているのが伝わってきた。私も皆と同じくらい彼の声が好きだった。もっとどんどん歌ってくれていいのですよと言いたくて、いつもその言葉を胸に抱えているのだが、いざ彼を目の前にするとなぜか、肝心なことが口から出てこなかった。
「すぐ隣に細い月が出ています」
バリトンさんはうなずいた。
「これ以上、細くなったら、無くなってしまいますね、あの月は」
翳りきっていない空でも、太陽の名残に負けずに輝いている明星に、月はか弱く寄り添っていた。
描写の美しさに、たびたびハッとさせられる。
その美しい世界の小さな町には、死んだ子どもをいつまでも思い続ける人たちが暮らしていた。
町はずれの丘の広場では西風の吹く季節に、”一人一人の音楽会”が行われる。
小さな楽器をイヤリングにして、自分にしか聴こえない死んだ子どもが発する音に耳を傾ける。ガラスの小瓶にへその緒や乳歯を入れたものや、小さな竪琴の弦に子どもの髪の毛を張ったもの。それを西風が揺らし一人一人にしか聴こえないほどのの音を鳴らすのだ。
幼稚園の講堂の管理も〈私〉の大切な仕事だ。ガラスの小箱に、死んだ子どものためのものを皆が仕舞いにやって来る。小箱のなかで子どもたちは、九九を覚え、友達とケンカし、恋をし、成長し続ける。
〈私〉は、それを静かに受け止め、見守っている。
死んだ子どもの髪を人形の頭に結うもと美容師。子どもが生きていた頃に歩いた道以外には歩けなくなった弁当売り。様々な人が暮らしている。入院しているバリトンさんの恋人も、子どもを亡くしていた。
なかにひとつ、行ってみたいと思う場所があった。
”安寧のための筆記室”だ。
「字をかく音が心を安らかにすると、誰が最初に気づいたのでしょう。貴重な発見だと思いませんか? 当然のことながら筆記室は静かです。無数の文字があふれ出ているにもかかわらず、部屋を満たしているには圧倒的な沈黙です」
物語は、とても静かに閉じていった。
おとぎ話のような不思議な表紙は、フランスの画家グランヴィルの『彗星の大旅行』です。
この見返しのブラウンにやられました。素敵すぎる~即買い。
扉も、それだけで物語になるような不思議な絵同じくグランヴィル『天空の逍遥』。
そではシックなマーブル模様。開くと艶消しの金色。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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