歳を重ね、自分の持つ体温とか湿度とか、そういうものを気に留めることが少なくなった。しかし人間は動物で、生きているうちは温もりを持っている。水分は60%以上ある。日々の暮らしのなかでは、平熱ならばそこをゼロとカウントして、フラットな場所に立っているものと思いこんでしまっていた。
けれどふと、動物である自分の体温に、湿度に、受け入れがたいものを感じたり、逆にホッとしたりする瞬間がある。
窪美澄の連作短編集『よるのふくらみ』(新潮文庫)は、そういうものを否応なくつきつけられる小説だ。
同じ商店街で育ったみひろと、圭祐、裕太兄弟の恋を描く6編の短編は、みひろ、裕太、圭祐と繰り返し語り手を替え、進んでいく。
3年前から圭祐と同棲しているみひろは、セックスレスに悩んでいた。
私の意志や、気持ちや行動を無視して、この二、三日中に私の卵巣からは卵子が飛び出す。そう、私は今、排卵期なのだ。とはいえ、基礎体温に教えてもらうまでもなく、私はそのことを知っていた。ある日、気付いたのだ。私は生理と生理の間ごろに激しく欲情するってことに。
ふと隣の布団を見ると、圭ちゃんが私に背を向けて寝ていた。肩のあたりが呼吸に合わせて小さく上下している。昨日も帰りが遅かったのかな。私は左手を伸ばして、圭ちゃんの背中に触れてみた。圭ちゃんはぴくりとも動かない。
ひとりの人のなかにあっても、気持ちと身体は同じではなく、淋しいと思う気持ちと温もりを求める欲求は、ズレを持ったままたぶんどこまでもつきまとう。セックスしたくて淋しくて、セックスしたくなくても淋しくて、何を求めているのかわからなくなる。
面倒くさいな、人間って。
でもわたし、好きだと思った。みひろも、圭祐も、裕太も。
商店街という場所で暮らす面倒くさい人間臭さにもまた、体温を感じた。
そこかしこに、自分の子どもの頃の思い出があることに気づく。沢口薬局の犬におしりをかまれたこと。0点のテストを隠して母に掲示板に張り出されたこと。裕太がサッカーのボールをぶつけて壊したケーキ屋のショーケース。「おまえの母さん、いんらんおんな」と、私をいじめていた健司たちを圭ちゃんが殴ったパン屋の前。母がいなくなってうつむいて歩いていた自分に声をかけてくれた、おじさんやおばさん。商店街のたくさんの大人が自分を育ててくれたのだと思った。
帯の裏には、直木賞作家西加奈子の言葉がありました。
「窪さんは、登場人物とともに苦しみ、血を流す」
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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