23日日曜日。
句会の友人たちと、井上康明先生の講演「飯田龍太を語る会」へ出かけた。
昨年と同じく、飯田蛇笏、龍太の生家「山廬(さんろ)」を訪ね、その後ランチして、俳句や句会のことなどとりとめもなくおしゃべりし、去年まで句会でお世話になっていた井上先生の講演を聴く、というコースだ。
「龍太を語る会」は、今年で15回を迎えるという。
井上先生は、句会やお勤めしていた県立文学館でのお仕事などで龍太と交流があり、出会いから2007年に亡くなるまでのエピソードをユーモアを交えお話ししてくださった。
まず1981年の甲府句会例会で、飯田龍太選の特選句を読み、驚いたそうだ。
短日のたったひとつの日が落ちる 高野キミ
こういう句を選ぶのか、という目から鱗が落ちるような驚きだったという。
誰にでもわかる簡潔な言葉「たったひとつの」、けれど、これほどに短日の日暮れをずばりと捉えた表現はあるだろうか。
なるほど、と思った。
龍太は、常に一対一の会話を楽しむことを好む、温かみのある人だったそうだ。
会話にも打てば響くような鋭さを持ち、当意即妙な機転に、句選や俳句のみならず驚かされたことも多かったという。
冬に入る子のある家もなき家も 龍太
幅広く世の中を眺めるやわらかい視線を感じると、井上先生。
龍太の俳句には、華がある。明るさがある。命の遥けさがある。自由自在の視点があり、主観と客観、どちらにも立てる。日々あたりまえに暮らす健やかさがある。
井上先生は、時間が許すなら龍太の話は尽きないといった様子。
俳人として人として、山のように大きな存在だったという龍太を温かな目線で見上げているような講演会だった。

講演会会場は、笛吹市スコレーセンターでした。

没後18年。コロナウィルスで中止になった年以外毎年行われて、15回目なんですね。

山廬で購入した『飯田龍太自薦自解句集』。読むのが、楽しみ。

山廬の朱印が押してありました。

今回は、山廬の写真はありません。待ち合わせて友人の車で行ったのですが、なんとスマートフォンを車に置き忘れていました。写真を撮らずにのんびり歩く時間もまたいいものですね。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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