うまくいかないときに、自分よりさらにうまくいかない誰かを見てホッとする。
そんな自分に嫌悪しながら、些細なことから深刻な悩みまで、そういう心理はつきまとう。人間の性(さが)なのだろう。
その沼に足をとられた女と、彼女の吐く糸に絡めとられた男の物語である。
井澤亮介(54歳)は、十年前、新潟で手広く商売する「いざわコーポレーション」の女社長、井澤章子に見初められ、十年上の彼女と結婚した。その妻が事故にあい、意識を取り戻すことは難しいと告げられる。亮介は現実が飲み込めないまま、義理の息子と弁護士に、会社から追われてしまう。
白川紗希(29歳)は、売れないタレント。高1のとき「これが美少女だ」コンテストで準優勝し、芸能界に入ったが、「顔だけはきれい」「欲がない」「あとは脱ぐしかない」と言われながらも、夢を捨てられず肌やスタイルを保ち続けつつ、老舗キャバレー「ダイアモンド」でバイトする日々。だが、とうとう芸能事務所から解雇を言い渡される。
不動産の仕事を紹介され東京に出てきた亮介は、「ダイアモンド」で紗希と出会った。紗希は、亮介が置かれた状況に、思う。
井澤亮介は、我こそどん底にいると思っていた紗希の、空っぽの景色に滑り込んできた極上の「不幸」だった。
そして、北海道に飛ばされ田舎町のさびれたリゾートマンションを売る仕事を押しつけられた亮介を、「ダイアモンド」を辞めた紗希は、訪ねる。
紗希は、井澤亮介に傾いていく気持ちに「憐み」があることに気づいた。自分よりも嘆きたい人間を思いつく限り前向きな言葉で励ましていると、吐いた言葉によって気持ちが「浄化」してゆくのだ。
紗希は、釧路の実家に十年ぶりに帰った。父親は女と出ていったらしい。母親は、金銭的に頼る誰かがいなくなることが目下の心配事のようだった。
井澤のことを考えると、胸奥に柔らかい風が吹く。彼は紗希よりも老いているぶん不幸であり、そのことを内側に隠しておける大人だった。彼の胸にある傷を素手で撫でてみたい。痛みと癒しのバランスは、よりいっそう井澤を輝かせ、紗希を救ってゆくに違いなかった。
亮介の不幸に救いを見いだし、しかし紗希は決して、彼が不幸でいることを望んでいるわけではない。相容れないふたつの感情に揺れることもない。
彼女の転機は、2つの死だった。
ひとつは「ダイアモンド」のホステスたちの愚痴や涙を笑顔で引き受けていた衣装フィッター、吉田プロの心中。
そして、「できればここで時間を止めたい」と言い残して自殺した、リゾートマンションの最上階を所有する小木田の死。
その2つの「不幸」に、紗希は幸せではない自分を、いつしか受け入れていく。幸せというものが何なのか、捉える方向を見失っていく。「愛」の定義さえもが歪められていく。
人は「不幸」の底に落ちたとき、何を思い、どう行動するのか。紗希は、純粋であるがゆえに自分でも気づかぬうちに狂気の闇に落ちていった。
亮介の「不幸」を食べ続けた紗希が、とった行動は理解を超えていた。
話題を呼んだという驚愕のラストは、ぜひとも読んで体感してください。
解説は、近藤勝重。毎日新聞の連載小説だったそうです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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