偶然、末娘の小学校のときの同級生に、会った。
こちらはわからなかったのだが、もしかしたら、と呼び止められた。
銀行の窓口で、彼は銀行員。娘と同い年だから23歳になるはずだ。
「むかし、お家にも遊びに行かせてもらいました」
笑顔で話す青年はとても大人びて見えたが、女子も男子もだんごになってごちゃごちゃと遊んでいた低学年の頃のことだろうとなつかしく思い出す。
するとかすかに、その頃の面影が重なって見えた。
銀行を出てから、しばらく放心した。
末娘が18歳で都会へ出ていってから5年。たびたび会ってはいるが、わたしのなかの彼女はいまだ小さな子どものままなのだと思い知ったのだ。
子どもはどんどん大きくなるが、大人である親は、大人のままだ。
彼が遊びに来たというその頃のことを思い出しても、自分像は今とさして変わらないようなイメージしか思い浮かばない。若く未熟だった自分は、しかし歳を重ねた今もじゅうぶん未熟だ。実際変わっていないのかも知れない。それなのに子どもは、いつのまにか大人になっている。
その違いに、心が追いつけなくても当然だ、という気もする。
親にとっては子どもはいつまでたっても子どもだけれど、ああ、いちばん小さかった娘ももう大人になったんだなと、彼を見てしみじみ思ったのだった。
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随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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