ミュージカル『大刀丘山の朝日に抱かれて-トシコの進学』を観た。
雨や嵐や 凍える夜も 耐えて忍べば いつかは晴れる
今は甲斐市となった、山梨は敷島北部平見城地区開拓の歴史を語る物語。
70年ほど前の風化されつつある歴史を伝えていこうと、その土地、敷島で上演されたミュージカルだ。
昭和21年。第二次世界大戦が終わり、外地から引き揚げてきた人、家や仕事を失った人々が、公会堂と呼ばれる建物で共同生活を始めた。原野で木の根を掘り起こす開墾の日々。20軒建った掘っ立て小屋のような家も、厳しい生活に5軒しか残らなかった。
子どもたちはお腹を空かせながら、子守りや水汲みの仕事を手伝う。親は一日中、根っこを掘り石を運ぶ。絶望し自ら命を絶つ者もいる。そんな暮らしのなかで、主人公トシコは、高校に進学したいと言い出せずにいた。
奨学金で進学できると、トシコを励ます中学校教師。
妹のふみこに、貧乏だからと残飯を食えと人間扱いしない小学校教師。
そんなふみこをかばう、親友ミサキ。
だがその親は、食べ物をやれば癖になると、ふみこたちを遠ざける。
同じ村のなかでも、進学したトシコのために金を貸す余裕のあるものはいない。
しかし高校進学をあきらめ村で働く昭男は、この村から高校に行くものが出れば、子どもたちの希望になるとトシコを励ますのだった。
自分のこと、家族のことだけでいっぱいいっぱいで、気持ちはあっても助けあうことすらできない。それでも、希望を捨てずにこの土地で開墾を続けた人たちを、人間臭くユーモアを交え描いていた。
胸に落ちたのは、希望って「可能性」なんだ、っていうことだった。
この村からは高校には行けないのだとあきらめるのと、自分だって進学できるかも知れないと思うのとではスタート地点がまるで違う。がんばって可能性を切り開いたものが、あとをゆく人たちの希望となるのだ。
そうして切り開かれた敷島では、ワインの搾りかすを飼料にして育てた甲州ワインビーフなどが、今も作り続けられている。
甲斐市敷島総合会館で、上演されました。
展示されていた、大刀丘山の紅葉の写真です。
ラスト、笑顔で挨拶してくださった舞台の写真です。敷島公民館ふれあい講座「生き生き演劇教室」受講生のみなさんによる舞台でした。脚本・演出は、エッセイサークルでお世話になっている水木亮先生です。
こんにちわ。
いい、ミュージカルを見られましたね。
開拓精神とひとことで、言いますが、それはそれは過酷なのでしょう。
毎週、金曜日「新日本風土記」を見ています。
ほとんど毎週出てくるのは、その土地を開拓した人たちです。私は無知ながらも北海道の開拓やハワイの日系人の苦労などはそうだと聞いた事があっても、日本のあちこちで戦後引き揚げて来た人が原野をいちから、開墾しそして今があると言うことを知りました。
何気なく見ている田畑も元は人が耕し畝を作り、人の力はすごいものだなと感じます。
自分は何にも苦労を知らないなあと思い知るんです。
ぱすさん
ほんとうに、そうですね。
その頃苦労した人たちがいて、今の日本があるんだとあらためて考えさせられました。
想像もつかない暮らしですよね。
わたしも、ほんと何も苦労を知らず、大人になってしまったんだなあと思います。
それにしても、生のお芝居は、いいですね~♩
人の息遣いが感じられます♡
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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